2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は、抗がん剤で起こる様々な副作用に対して、 その度にいろいろと工夫をして、 まるでそれを楽しんでいるかのように、 ポジティブに受け入れていました。 いつ急変するかわからない状態にもかかわらず、 どんなに辛く、苦しくても、毎日笑顔で過ごして い…

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

東日本大震災の被災地の悲惨な映像が連日テレビから流れてくる・・・ この予期せぬ大自然の猛威に、人間は為す術も無い・・・ その日の午前中までは、昨日と変わらない平穏な日常が、 大きく変わっていく・・・ テレビに映し出される映像は、まるで映画でも…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

いつもより遅い昼食を食べていたら、突然下から「ドン!」と 突き上げるような、まるでトラックにでも衝突されたような 強い衝撃の後、大きく部屋全体が揺れ始めました。 すぐに地震だと分かり、何も持たずに愛犬を抱きかかえて 震えている妻の手を引いて、…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は知人の突然の死にかなりのショックを受けましたが、 逆に、生きたくても叶わない知人の気持ちを思うと、 生きなければ・・・という気持ちが強くなっていきました。 3月に入ると、娘の大学受験の合格発表があり、娘の笑顔と 一緒に嬉しい報告が入るように…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に2度の手術後、いきなり2週間の余命宣告、 もっても、翌年の桜が見られるかわからないと言われ 常に死の恐怖と闘いながらも、何とか2011年を迎えることが できました。 当時の僕は、長年勤めていた会社を退職して、子宮、両卵巣から 肺に転移した…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2010年12月、ハワイから帰国してすぐに長年勤めていた会社に 辞職願いを提出しました。 入社当時から大変お世話になった社長に、妻の病気は日本では 完治するのが難しい事、このままでは4年以上生きる事ができるか 分からない事など、初めて身内以外の人に苦…

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

今年2度目のハワイは、再び抗がん剤治療を受ける妻へのエールと、 ハワイに移住するための情報収集のためでした。 当時の日本の医学では、「子宮平滑筋肉腫」を完治するのは難しく、 殆どの患者さんが5年以内に亡くなります。 そのため、日本での治療を諦め…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に、子宮全摘出手術、両卵巣、体網全摘出手術と 1ヶ月の間に2回の手術をしてから1年が経った2010年12月。 この1年間、「子宮平滑筋肉腫」について必死に調べました。 東洋医学、西洋医学、漢方、医学書、癌に関する著書・・・ その結果、当時の医…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年 12月11日 子宮全摘出手術 術後の病理検査で「子宮平滑筋肉腫ステージ4」と診断 2009年 12月18日 両卵巣、体網の全摘出手術 2009年 12月末 6ヶ月間の抗がん剤治療開始 2010年 7月28日 造影剤によるアナフィラキシーショック 2010年 11月13日 PET検査の…

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

どんな病気でもそうですが、最愛の家族が目の前で苦しんでいる姿を 何もできずに、ただ見ているしか無い・・・ 何もしてあげられない自分の無力さ、無念さは言葉では言い表せません。 できることなら、代ってあげたい・・・ それなりの治療方法で、それなり…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

癌患者にとって「転移」という二文字が、どんなに辛い治療であっても耐え抜いて、「必ず根治する」「生きる」という強い意志を、一瞬で打ち砕いてしまうことを、 妻を見ていて思いました。 一度も風邪をひいたことが無かった妻が、突然癌患者になり、たった1…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

「一番恐れていた事が起きてしまった・・・」 2009年12月11日 子宮全摘出手術、術後「子宮平滑筋肉腫」という悪性腫瘍と診断されて、余命4ヶ月を宣告され、その1週間後の12月18日に、腫瘍部分の両卵巣と体網の 全摘出手術、年末からは化学療法がスタート、ま…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に2度の手術、「桜は見られるか分かりません」と、4ヶ月という 突然の余命宣告をされましたが、何とか乗り越えて安心したのも束の間、7月には造影剤によるアナフィラキシーショックで死にかけ、抗がん剤の副作用と闘いながら、何とか8月を迎えるこ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

いつものCT検査のはずでした。 僕はいつものように、廊下の長椅子に座り、妻を待っていました。 すると突然、多くの医師や看護師が、慌ただしく検査室に入っていきました。 その中には妻の担当医もいたのですが、何が起きたのか聞くこともできないくらいに …

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

9日間の化学療法のための入院、退院してから約1ヶ月の間、週2回の通院、その間に 歌の仕事、そしてまた入院という繰り返しの日々。 一見、着実に回復に向かっているように思えるが、悪性の癌細胞は少しずつ静かに、 妻の身体を蝕んでいきました。 そしてつい…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は1クールを9日間入院して抗がん剤治療を受け、退院後1ヶ月間は、毎週1回診察を受けに通院して、また入院というスケジュールを6クール繰り返します。 これだけ病院にいると、全ての産婦人科の先生や看護師さん、患者さんと知り合いになります。 妻も仕事を…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻の治療方法は、入院しての抗がん剤治療だけではなく、退院してから次ぎの入院までの約1ヶ月の間に、週2回通院して注射を打たなければなりません。 その時は僕が車で送り迎えをします。 完全看護の病院ですが、入院中は朝から消灯時間まで特別の許可をもら…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

抗がん剤治療にも、癌の種類、ステージ、年齢などの違いで、抗がん剤の種類、 入院期間、クール数などなど、1人1人、それぞれ治療方法が違います。 殆どの場合、この癌にはこの抗がん剤と決まった治療方法があるのですが、 妻の病い「子宮平滑筋肉腫」には明…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

薬の副作用は怖い・・・ ましてや抗がん剤の副作用は、想像もつかない変化を身体に及ぼします。 当時の医療では「子宮平滑筋肉腫」に効果がある治療法は特に無かったので、 毎日、吐き気や倦怠感、不眠に苦しんでいる妻を見ていて、本当にこの治療方法で 大…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月11日に子宮全摘出手術、12月18日に両卵巣、体網の摘出手術と、 僅か1週間のうちに2度の大手術、その後の抗がん剤の副作用にも耐え、担当医から告げられた余命にも決して落胆せず、諦めないで「必ず完治する」という強い信念で病気に立ち向かってい…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

満開の桜の下、この美しい桜を二度と見ることは出来なかったかもしれないと、余命を 告げられていたことを妻に伝えてから、また1ヶ月間の入院で、抗がん剤治療が始まりました。 抗がん剤の副作用は、日に日に妻の体力を奪っていきました。 おそらく僕が妻の…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

山梨県の石和温泉に、妻の両親と4人で桜を見に一泊の旅行に来た時に、妻には担当医から1回目の術後の説明で、余命は2週間で、2回目の手術が成功したとしても、翌年の桜が見られるかわからないと告げられていたことを話しました。 「死へのカウントダウン」か…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻の病名は「子宮平滑筋肉腫」といって、5年以上の生存率が5%未満と低く、10万人に 1人の確率でしか発症しない難病でした。 T・S病院は歴史のある有名な病院ですが、「子宮平滑筋肉腫」の過去の患者数はたったの10人ほどということでした。 当時は治療法が…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

余命2週間の宣告を受けてから、ひとつの大きな山は何とか越えて、新年を迎えることができました。 しかし、担当医からは「翌年の桜が見られるかわからない。」と言われているので、 毎日、不安と恐怖と闘っていました。 そして2010年1月半ばに、恐れていた事…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

余命2週間と宣告され、死へのカウントダウンが始まる中、何とか年を越せたことに 少しだけ安堵したが、まだまだ危険な状態でした。 最低でも1ヶ月間は安静にしているように、担当医から指示されていたのですが、 術後2週間足らずで仕事に復帰したのには、僕…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

12月11日に子宮全摘出手術、その僅か1週間後の12月18日には、両卵巣と体網の全摘出手術を終えて、12月26日から抗がん剤の点滴が始まりました。 妻は1週間の短い間に、2度の大きな手術を受けて、体力の限界の中、抗がん剤の副作用による激しい嘔吐を繰り返し…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻の病は「子宮平滑筋肉腫」 悪性の進行癌で、5年以上の生存率は僅か5%未満という10万人に1人にしか 発症しない難病です。 ましてや12月に余命2週間と告げられ、長くても翌年の桜が見られるかわからない状態でした。 12月11日に子宮全摘出手術、その僅か1週…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

< 悪夢> ICUで麻酔から覚めた妻は僕の顔を見ると、とびっきりの笑顔を見せました。 その時、僕の笑顔はきっとうまく微笑んでいなかったと思います。 それでも気持ちを引き締めて「手術は成功したよ。よく頑張ったね。」 確かこのような言葉だったと思いま…

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

<宣告> シーンと静まり返る部屋・・・ 僕のツバを飲み込む音だけが部屋中に響きました。 そして無表情な医師の口から告げられた病名は「子宮筋腫」ではなく、 今までに聞いたことがないものでした。 「奥様は子宮筋腫ではなく、子宮平滑筋肉腫です。悪性の…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

僕はうつ病です。 原因は最愛の妻の死です。 2014年5月12日 がんで亡くなりました。 このBlogは妻が亡くなる前日に、最後に交わした妻との約束を果たす為に本日(2019年3月1日)から始めました。 妻と僕が直面した「癌」という病気の実体験から、現在がんと…