私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
妻の病名は「子宮平滑筋肉腫」といって、5年以上の生存率が5%未満と低く、10万人に
1人の確率でしか発症しない難病でした。
T・S病院は歴史のある有名な病院ですが、「子宮平滑筋肉腫」の過去の患者数はたったの10人ほどということでした。
当時は治療法がなく、病院側も手探りの状態で治療するしかありませんでした。
初めに宣告された余命2週間は、何とか過ぎましたが「桜が見られるかわからない。」という状態で、これ以上、妻に黙っていることはできないと判断し、桜が咲き始めた頃に本当のことを打ち明ける決心をしました。
その時の妻の手記を紹介します。
<桜>
桜を感慨深げに見ている。
じっと見ている。
太陽の日差しがまぶしく、桜の枝の間から差し込んでくる。
降り注がれる日差しに、思わず目を細めるが、それでも桜を見ている。
春風に桜の花が、柔らく揺れている。
見事に咲き誇った桜の木を通して青空も見える。
桜の色が一層映えている。
温泉街を流れる近津用水の両岸に、桜並木が東西1キロにわたって続くウッドデッキの遊歩道を、ゆっくり歩いている。
この度の温泉旅行は、ただお花見に来たのではなかった。
衝撃事実を明かされるためだった。
夜、再び訪れた。
春雨が夕方から降っていたが、どうしても夜桜が見たかった。
温泉の浴衣に羽織りをはおり、ショールを巻き、ホテルのビニール傘をさして、夜桜を見に来た。
家族でお喋りをしながら、所々で写真も撮った。
昼間とは全く違った桜がそこにはあった。
雨がしとしとと静かに降っている深い闇に包まれた夜空のスクリーンに、くっきり美しさが際立つライトアップされた桜。
ライトの明かりが、より一層幻想的に映えていた。
昼間の柔らかく可憐な桜・・・
夜は雨の雫がキラリと光り、しっとりと妖艶ささえ感じた。
私はこんなにも桜を観賞したのは初めてだった。
目を潤ませて桜を見つめる私。
主人はすでに涙が溢れていた。
私は術後4ヶ月を経過した「今日」この桜を見る温泉旅行の深い意味を知った。
私の余命を主人が明かしてくれたのだ。
2010年4月初めの日であった。
私は2009年12月18日に2回目の手術を受け、子宮平滑筋肉腫という、悪性の癌であることは知っていたが、主人は担当医から「年が越せるかわからない。」と言われ、「もし
年が越せても桜を見られるかわからない。」と余命宣告されていたことを、この美しく咲き誇る桜を見ながら、話してくれたのだ。
「桜見ることができたね」「うん、見られたね」「良かったね」「うん、良かったね」
「来年も、再来年も、ずっと一緒に見るからね。」
私は声が震えていた。
隠し事はしない主人が、初めて私に嘘をついていたのだ。
まだまだ吐き気、味覚障害、不眠、倦怠感が続く姿を見守りながら、この桜の時期を迎えるまでの日々を思うと、優しい嘘があまりにも切なかった。
「ありがとう」の一言では言い尽くせるものではなかった。
私はこの美しい満開の桜を一生忘れない。
今、咲き誇る桜を愛でながら、必ず来年もここへ来ようと約束した。
私は生きている・・・
(次回は <さくらさくら> です)