私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
妻は、抗がん剤で起こる様々な副作用に対して、
その度にいろいろと工夫をして、
まるでそれを楽しんでいるかのように、
ポジティブに受け入れていました。
いつ急変するかわからない状態にもかかわらず、
どんなに辛く、苦しくても、毎日笑顔で過ごして
いました・・・と言うよりも、
無理に作り笑顔をしていることは分かるので、
そんな妻を愛おしく・・・また切なく・・・
今、起きている現実を恨みました・・・
それでも毎朝、
「おはよう。今日もいい天気ね。」
と目覚めてくれることが幸せでした。
「朝、目覚める」ということは当たり前のことですが、
余命宣告されてからは、
「全ての当たり前に出来ること」が出来なくなりました。
その時に初めて「当たり前」の有り難さに気付きました。
「朝、目覚める」イコール「生きている」
それだけで、「今日も一日頑張ろう」という活力になりました。
その頃の妻の手記を紹介します。
<発想の転換>
そして今回は、両手両足の爪が、付け根2㎜~3㎜を
かろうじて残し、毎日徐々に剥がれていく。
まるでエンドレスの拷問を受けているかのように、
激痛に身体がフリーズする。
チクチクと針を刺されているような、
表現しようのないヒリヒリする痛み・・・
剥がれた指先の爪の間に、水が直接、浸透する・・・
激痛の度に息を止める・・・
とにかく、泣いていても痛みからは逃げられないので、
歯を食いしばって耐える日々・・・
何か痛みを和らげる方法はないものか・・と考えた。
意外と身近なところに答えを見つけることができた。
それは普段、お洒落の一環として使用していた、
スカルプチャー、付け爪であった。
これをプロテクター代わりに付けると、
指先の力がサポートされた。
付け爪に慣れてくると、食事を作ることも、洗濯も、
家事全般、何でもできるようになる。
たまに爪が外れて紛失することも・・・
サラダを作ろうと、冷蔵庫から取り出したレタスの葉の先に、
キラリと光る刺さった爪を発見することもあったが、
家事ができる喜びは、食事中の笑い話となって、
食卓に笑い声が飛び交った。
しかし、足先はグルグルとテーピングをして、
その上から、ふかふかの靴下を履いて、
ゆったりした柔らかいブーツや、靴を履いて、
数メートル歩いては立ち止まる・・・を繰り返しての
歩行であった。
そんな私に気を遣い、友人達は最寄りの駅ビルの
喫茶店まで会いにきてくれた。
友との談笑・・・
痛みを忘れる事が出来る、楽しい時間であった。
N学園の講座の日は、痛みに耐えに耐えて、
極上の笑顔で指導する私がいた。
苦しいから、辛いからこそ笑顔で頑張った。
顔晴った。(がんばった)
お洒落な付け爪を見て、
「綺麗ね・・♥」と言ってくれるその言葉に励まされ、
痛みが微笑みに変わっていく。
そして今日も・・・
私は生きている・・・
(次回は <再び・・・> です)