私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は知人の突然の死にかなりのショックを受けましたが、

逆に、生きたくても叶わない知人の気持ちを思うと、

生きなければ・・・という気持ちが強くなっていきました。

3月に入ると、娘の大学受験の合格発表があり、娘の笑顔と

一緒に嬉しい報告が入るようになり、妻も笑顔を取り戻して

きました。

母親がわずか1年ちょっとで、3度も死に直面している中、

歯を食いしばって必死に勉強していた娘の姿を思い出して、

目頭に熱いものを感じました。

その頃の妻の手記を紹介を紹介します。

 

<桜咲く>

2011年2月に入り、抗がん剤の血管痛は相変わらずあったが、

知人の死に直面した私は、命の重みを考えると、どんな事でも、

耐えられるような気力を感じていた。

娘の大学受験の合格結果に桜が咲き始め、久しぶりに

穏やかに心からの笑顔と、笑い声に満ちた日々が訪れていた。

 

娘は「抗がん剤治療との闘いに比べたら、大学受験なんて健康な

   身体さえあれば受けられるんだから、頑張るしかなかったし、

   頑張らない理由がないというか・・・

   志望大学に合格したら、神様もその頑張りを見ていてくれて、

   ママの病気も治してくれるんじゃないかと、何の根拠も

   ないけど、そう思っていた。

   藁にもすがる思いで、目の前の事を頑張るしかなかった。」

受験の日々を思い出しながら、満面の笑みで話してくれた。

合格のご褒美は何にしようか?・・・と楽しい会話に花が咲いた。

 

3月10日 

私はいつもの血管痛と闘いながら、

抗がん剤治療10クール目を受け、残すところ2クールとなっていた。

肺の転移を小さくするために受けていたのだが、レントゲン・CTの

結果で、微妙に大きくなっていることが判明した。

抗がん剤を受けているから、この程度に抑えられているのか?

はたまた今回の抗がん剤は効いていなかったのか?

このような結果が出たので、また今後の治療に対する話し合いが、

H先生と行われた。

先生は治験とかの案も提案してくれたが、私は経過観察を選択した。

正直、良い結果を期待していただけに、落胆したのは言うまでも無い。

 

3月11日 

娘は出身校に合格報告も兼ねて、お世話になった先生を訪ねていた。

私は出先から戻る主人の時間に合わせて、14時過ぎにお昼の支度を

して、14時半頃にいつもより遅いお昼を食べ始めた。

 

14時46分

突然、食卓のお味噌汁が波打ち始めた。

今までに経験したことの無い揺れ・・・

主人に手を引かれ、私はウイッグを付けるのも忘れて、

愛犬のみ抱きかかえ、マンション7Fから非常階段で避難・・・

眼下には駐車場に逃げ、集まっている人々・・・

揺れるたびに、あちこちから響き渡る悲鳴・・・

「何が起こっているの?」

私は必死に階段を駆け下りていた・・・

 

私は生きている・・・

 

(次回は <3・11> です)