私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
余命2週間の宣告を受けてから、ひとつの大きな山は何とか越えて、新年を迎えることができました。
しかし、担当医からは「翌年の桜が見られるかわからない。」と言われているので、
毎日、不安と恐怖と闘っていました。
そして2010年1月半ばに、恐れていた事が現実として起こりました。
男性でもショックだと思いますが、女性にとっては絶対に起きてはならないものだと
思います。
それは「脱毛」です。
妻は人前に出る職業なので、身なりには気を遣っていました。
特に髪に関しては人一倍、手入れには時間をかけていました。
その女性にとっては命の髪が抜け始めてきたのです。
副作用で髪が抜けることは予備知識としてはありましたが、現実に目の前で
起きている光景は、あまりにも壮絶で、目を覆いたくなるほどのものでした。
その時の妻の手記を紹介します。
<嗚咽>
右手で髪をかき上げた。いつもの何気ない仕草だった。
しかし次の瞬間、血の気が引き身体が固まった。
手ぐしをしたその指の間には、髪の毛がどっさり絡みついていたのだった。
理解するのには暫く時間が止まった。
あまりにも衝撃的な現実を、私は受け入れることができなかった。
この1ヶ月間に2回の手術による術後の激痛、抗がん剤による吐き気、怠さ、不眠を
子宮平滑筋肉腫を治すための試練として静かに受け止め、どんな苦しい時も決して
涙は流さず笑顔を心がけてきた。
辛く気分が優れなくても、自分にエールを送りながら、ゆっくり過ぎていく時間に
耐えていた。
しかし、この日ばかりは声をたてて泣いた、、、泣いた・・・
嗚咽しながら泣いた・・・
「嫌だ~」と、何度も何度も泣き叫んだ。
座っていたホワイトのソファーには髪の毛が散乱していた。
左手で恐る恐る髪に触れてみた。
ブラウンにカラーリングした髪の毛が、両手に重く絡みついてきた。
私は前後不覚に陥り、一心不乱に髪の毛を拾い集め、袋に詰めていた。
泣きじゃくりながら・・・
恐ろしくて鏡を見ることができなかった。
2010年1月半ば過ぎの日であった。
抗がん剤の副作用で髪が抜けることは担当医からは聞いていたし、冊子でも読んで
分かっていたはずではあったが、まさか2週間足らずで脱毛が始まるとは・・・
1度脱毛が始まると、数日で殆ど無くなっていた。
家族からの「また生えてくるから大丈夫だよ。小坊主みたいで可愛いよ。」
という慰めの言葉も、素直に聞き入れることはできなかった。
変わり果てた姿を見られたくなくて、寝る時も帽子をかぶり続けていた。
日中ひとりになると泣いた・・・
ふと、窓越しに目をやると、雪が降っていた。
あたりはすでにうっすらと積もりかけている。
私は呼び寄せられるようにベランダに出て、しばらく空を見上げていた。
かざした手に、舞い降りては溶けていく雪の結晶の冷たさを感じていた。
久しぶりに外気に触れて、少し気持ちが落ち着いてきた。
そして泣いていた自分の心に向き合ってみた。
「脱毛する前の私は、笑顔で頑張ってこれたじゃない。」
「どうせ辛い日々を過ごすなら、同じ時間を笑顔でいるんじゃなかったの?」
「 眉間にシワを寄せていたら、ブウちゃんになっちゃうよ。」
「数日後には講座が控えているのだから、歌の練習や準備をしなくていいの?」
悲しみの中にいる自分が惨めで、あまりにも情けない・・・と思ったら、自然に活力が湧き、笑みがこぼれていた。
もう二度とめそめそしない。
そう心に誓った。
私は生きている・・・
(次回は <桜> です)