私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に2度の手術後、いきなり2週間の余命宣告、

もっても、翌年の桜が見られるかわからないと言われ

常に死の恐怖と闘いながらも、何とか2011年を迎えることが

できました。

当時の僕は、長年勤めていた会社を退職して、子宮、両卵巣から

肺に転移した癌細胞を倒すために、全ての時間をつぎ込みました。

その日も病室で妻と、今日一日の出来事などを話している時に、

僕の携帯の着信音が鳴りました。

相手は妻の仕事で、長年ピアニストを務めてもらっているKさん

からでした。

その時の妻の手記を紹介します。

 

<Kさんからの電話>

2年連続の年越しを病院でして、2011年の新年を迎えた。

主人の笑顔に安堵し、両親の電話の声に励まされ、

受験生の娘は、年末年始を予備校で勉強に打ち込み

「こんな時間も人生の中にあって面白い!

 諦めたらそこで試合終了だよ!」のメールに胸が熱くなり、

頑張る意志が、頑張っている姿が、私への彼女なりのエール

と感じた。

そんな中私は、何か楽しみながらのゲン担ぎの入院生活を

考えた。

それは採血や点滴時に、注射針を拒否して血管が逃げ回り、

看護師泣かせの腕に、針が血管を確保して入った瞬間に、

「入った!合格、合格!」

と、念じていると、不思議と痛みも和らいでいた。

嫌な事でも、気持ちの持ち方を変えるだけで楽しめた。

1月も末になると、まさに昨年同様、脱毛が始まった。

脱毛は2度目なので覚悟はできていたが、1人になると

涙した・・・

抗がん剤が効いているのだからと信じ、

私なりに平常心でいようと思うが、やはりつるつるに

なっていく頭を鏡には映したくなかった。

 

そんなある日の夜、ピアニストのKさんから主人に電話があった。

何やら慌ただしく話し電話を切った。

「何だったの?」

の私の問いに、暫く重い表情を浮かべていた主人・・・

実はKさんの妹さんが亡くなった知らせだった・・・

確か昨年の夏に膵臓癌が見つかり、手術はせずに抗がん剤治療

をすると聞いていたので、

「今後起こりうる副作用とか、脱毛時の、ウイッグの事など

 何でも聞いてね。」

と伝えたので、順調に闘病生活をしていると思っていた矢先、

中学生の一人娘を残しての訃報であった。

妹さんの癌が発見された時は、手の施しようもなく、

既に体中に転移していたのだった。

手術もできず、抗がん剤に耐える力も無く、痛み止めだけが

投与されていたと・・・

闘病中の私への優しい心遣いで、約5ヶ月間、Kさんからは

何も聞かされてなかった・・・

初めての知人の死・・・

言葉に出来ない悲しみであった・・・

治療に対して選択肢がある私・・・

「彼女のためにも生きて・・・」 と、託された深い言葉・・・

私はゆっくりうなずいた・・・

 

私は生きている・・・

 

(次回は <桜咲く> です)