私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
妻の治療方法は、入院しての抗がん剤治療だけではなく、退院してから次ぎの入院までの約1ヶ月の間に、週2回通院して注射を打たなければなりません。
その時は僕が車で送り迎えをします。
完全看護の病院ですが、入院中は朝から消灯時間まで特別の許可をもらい、付き添って身の回りの世話をしていました。
余命宣告された時期は過ぎましたが、いつ急変するか分からない状態だったので、
許す限りそばにいました。
その時僕は普通のサラリーマンだったので、会社には事情を説明して、長期休暇をいただいていました。
ただ、いつまでも会社には迷惑をかけられないので、退職する決意をしました。
その頃の妻の様子を綴った手記を紹介します。
<付けまつげ>
病院の検診日の朝になると、必ず下痢をする。
まるで子供のようだが、単純に病院に行きたくないからであった。
化学療法が終わっても約1ヶ月の入院までに、少なくとも10回は通院しなければならないのだ。
なぜなら、抗がん剤治療を受けると、急激に白血球の数値が下がるからであった。
普通の人だったらただの風邪ですむものが、私は肺炎になってしまう。
ほんのかすり傷も血が止まりにくくなる。
そのため、白血球の数値を上げるためにノイトロジンという注射を打つ。
これは悲鳴を上げるほど痛い。
今日は体調がいいから、病院の帰りにどこか寄り道して行こうかな・・・と、
密かに思う気持ちを見透かされているかのように、担当医からは
「数値が低いので、決してどこにも寄らずにまっすぐ帰宅して、安静にしていてくださ
いね!」と言われるほどの緊張の日々が続く。
この注射の効力が半端ないのであった。
大体、5時間くらいすると、ジワジワと骨髄あたりから背中にかけて、激痛が襲ってくるのだ。
ソファーに座っていても、その場から動けず、10㎝ほど先に置いてある物を取ることすらできなくなる。
身体は思うように動けず、同じ位置に3時間ほど固まっている。
徐々に鎮静しても、翌日数値が悪ければ、再度ノイトロジン・・・
この繰り返しの日々。
その上、吐き気、不眠が続く毎日・・・
更に追い打ちをかけるように、2010年3月頃には、副作用ですでに頭はスキンヘッドになっていたが、眉毛、まつげ、鼻毛・・・毛という毛は、全身から見事に消えていた。
「これって私?」鏡を見返すほど、人相が変わり果てていた。
しかし私には月2回、N学園での声楽指導の日があったおかげで、ネガティブになりそうな自分に対して、喝を入れることができた。
ウイック、付けまつげは、私の外出時の必須アイテムとなっていた。
逆にウイック生活をお洒落として受け入れ、楽しむことにした。
しかし、苦労したのは付けまつげである。
ウイックならスキンヘッドに、帽子のようにスッポリ被せればいいが、付けまつげは
まつげが無いので貼り付けるのに一苦労であった。
どんなに体調が悪くても、仕事に向かう時には、トロピカルの入浴剤を入れたピンク色のお風呂に入った。
喉の保湿と発声練習の慣しとして、40分程、歌いながらゆっくり温まった。
普通なら、髪をとかすのに時間がかかるが、不幸中の幸い?スキンヘッドの今は、タオルでサッと拭くだけで済む。
いつもとは全く違い、テキパキと支度をする私がいる。
(ただし、付けまつげだけは時間がかかった。)
さあ!今から病人から先生に変身!
背筋が自然に伸びている。
リップグロスを塗って、いざ!出陣!
鏡の前でニッコリする私にシャカサイン。
私は生きている・・・
(次回は <友情> です)