私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
山梨県の石和温泉に、妻の両親と4人で桜を見に一泊の旅行に来た時に、妻には担当医から1回目の術後の説明で、余命は2週間で、2回目の手術が成功したとしても、翌年の桜が見られるかわからないと告げられていたことを話しました。
「死へのカウントダウン」から今日まで、妻に内緒にしていた罪悪感と、妻がこの世からいなくなってしまうという今までに感じたことの無い恐怖とで、生きた心地がしませんでした。
なので、何とか無事に妻と桜が見られたことは、僕にとっては安堵と共に、最高の喜びでした。
翌朝、温泉宿の最上階にある貸切り露天風呂に入り、雄大な富士山を眺めていたら、
妻が突然歌い出しました。
おそらく、自分の置かれている状況を受け止めたのだと思います。
その時の妻の手記を紹介します。
< さくらさくら >
生きている喜びを噛みしめながら、遙か南東に霊峰富士を湯煙の先に眺めている。
眼下には、昨夜の春雨でより一層美しく満開に咲く誇る、桜街道が見えていた。
大きく開いている窓からは、朝の澄んだ風が心地よく、湯船を吹き抜けていく。
ホテルの最上階にある、貸切り展望露天風呂「ゆらり」に浸かっている。
風情のある檜造り。
檜の香りに包まれて心の底までゆったりしているのを感じている。
現在から2009年12月11日までを回想していた。
昨日主人から、私の余命はこの桜の時季までもつか分からないと、担当医から
告げられていたことを、初めて聞かされた。
確かにこの4ヶ月間で2回の手術、抗がん剤治療が始まり、脱毛、吐き気、不眠、
倦怠感、味覚障害・・・。
こんなにもリフレッシュしても、まだ船酔いのような気持ち悪さは続いている。
だが、つい3ヶ月前までは、病院のシャワールームに、点滴を付け、濡らさないようにと、サランラップを腕や喉にぐるぐる巻きにされてから入っていたときのことが、思い出された。
吐き気や怠さの中でのシャワー。
その時は「当たり前」に出来ていたことが出来なかった。
いつもの感覚でシャワールームまでは来たものの、身体を洗うことが出来なかった。
体力が無かったのだ。
シャワールームからナースコールを押して、今にも倒れそうな私の身体を洗ってもらい、全身を拭いてもらい、下着やパジャマさえも着せてもらった。
自分の身体を支えているのが精一杯だった。自分のことは自分でしたくても出来ないもどかしさの日々だった。
そして今は脱毛した頭を綺麗に刈り込み、小坊主のようなスキンヘッド。
温泉に来ているのに、大浴場に入りたくても、やはり人目が気になり入れない。
その上、下腹部からおへその横までの縫合痕は、まだ赤紫色をしていて生々しかった。
周りを気にすること無く、手足を伸ばしての入浴は最高の気分だった。
なにより生きている活力を、しみじみ実感していた。
自分に負けずに進んできたこの4ヶ月間。
眼下や視線の先にも、桜があちらこちらでピンク色に優しく染まった春が見えている。
自分だけが頑張ってきていたように思っていた私だった・・・
私の余命を告げることが出来ず、この時季を無事迎えるまで、1人苦しい日々を過ごしてきた主人・・・
お互い心身共に闘っていたことを、改めて考えずにはいられなかった。
「ありがとう・・・あなた・・・」
私は「さくらさくら」を遠くの景色を見ながら歌った。
よく声も出ている。
この力強い生命力に感謝した。
私は生きている・・・
(次回は <ご褒美> です)