私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

東日本大震災の被災地の悲惨な映像が連日テレビから流れてくる・・・

この予期せぬ大自然の猛威に、人間は為す術も無い・・・

その日の午前中までは、昨日と変わらない平穏な日常が、

大きく変わっていく・・・

テレビに映し出される映像は、まるで映画でも観ているような

錯覚さえ起こしていました。

同じ日本なのに、あまりにも違いすぎる現実を、

すぐには受け止められませんでした・・・

それでも東京には、去年と同じように桜が咲き始めました・・・

その時の妻の手記を紹介します。

 

<それでも桜は・・・>

2011年 3月11日に東日本大震災が起こり、

この最中、当然ではあるが、殆どのおめでたい行事が

自粛や中止となっていた。

勿論、教育機関の卒業式、入学式も同様であった。

娘の大学の入学式では、インターネットでの学長の挨拶の

動画配信など、様々の場所で異例な形態がとられていた。

 

それぞれの立場に置かれた人々・・・

 

私が指導している受講生さんの中にも、実家が流され、

仮設住宅暮らしになったご両親の話しを目の当たりに聞くと、

目を見つめるだけで、手を握るだけで、言葉が出てこなかった・・・

 

だが、みんなで歌っている時だけは、全てを忘れたくて、

ここに来てみんなで歌うことによって、元気になりたいと・・・

真っ直ぐ私を見つめて言ってくれた。

歌の持つ限りない力を感じずにはいられなかった。

そして「さくらさくら」「花」などの曲を、心を込めて歌った・・・

 

どんな状況でも桜は咲き誇り、

春の季節を感じることさえ忘れかけていた人々に、

まだまだ三寒四温の吹き抜ける風を頬に受けながら、

しばし足を止めて、青く澄み切った空を見上げた時に、

「また今年も桜の季節が訪れましたよ~」

と、優しく語りかけてくれる・・・

 

私も、余命を告げられてから

2度目の桜を静かに見つめていた・・・

多くの人々の、様々な声を聞いた花びらが、

風に吹かれ飛んでいく・・・

美しく、儚く、切なくも・・・

静かに流れていく時間・・・

 

旅だって行った花びらの枝先に、

また柔らかな緑が芽吹いてくる・・・

 

震災から数ヶ月経っても、緊急地震速報の音に怯え、

いつでも避難できるようにと、夜でもパジャマを着ないで

過ごす日々が続いた。

このころは体感的に、余震で四六時中揺れている船酔い感覚を

常に感じていた。

さらに両手両足の爪が、抗がん剤の副作用で、少しずつ生爪が

剥がれていき、激痛で眠れない日々がやってきた。

 

激痛で指先に力が入らない・・・

足先の激痛で歩けない・・・

 

それでも・・・

 

私は生きている・・・

 

(次回は <発想の転換> です)