私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
< 悪夢>
ICUで麻酔から覚めた妻は僕の顔を見ると、とびっきりの笑顔を見せました。
その時、僕の笑顔はきっとうまく微笑んでいなかったと思います。
それでも気持ちを引き締めて「手術は成功したよ。よく頑張ったね。」
確かこのような言葉だったと思います
それだけを言うのが精一杯でした。
妻は安心したのか、再び眠りにつきました。
妻の安心しきった寝顔を見て、僕は声を押し殺して泣きました。
ICUから一般病棟に移って、妻は少しずつ回復していきました。
そして手術から3日目にその日は来ました。
ここからは闘病中に書いていた妻の手記を紹介します。
<手記1>
悪夢と思いたい日は突然やってきた。
実は余命2週間と告げられていたのは、この時主人だけだった。
私は2009年12月11日子宮筋腫の全摘出手術を受け、術後良好であり、縫合の箇所の痛みを感じる程度で退院の日を待ちわびていた。
手術をすればすぐ治ると信じ、さほど手術に関しては気楽に受け止めていたのだ。
その日までは・・・
しかし、術後3日目にして主治医に呼ばれた。
主人に寄り添い、下腹部を押えながら手をつないでゆっくり歩き、ナースステーションに入ると椅子に誘導された。
なぜか産婦人科の先生方が勢揃いしていた。
看護師さんも5~6名はいただろう。
最初の担当医だったN先生は1月に出産を控えていたが同席していた。
そして20代後半のH先生は私の新しい担当医として、手術3ヶ月前くらいからサポートしてくれていた。
私の直接の担当医が目の前に2人座り、静かに話し始めた。
「子宮を摘出した時に、右側の卵巣が黒く壊死してドロッとなっていました。
病理で悪性の腫瘍と判明しました。」と画像を指しながら言ったのだ。
私は「子宮筋腫を取れば治るんじゃなかったのですか?」
ハンカチを握りしめながら言った。
H先生はうつむき、N先生はかぶりを振った。
そして次にでた言葉は・・・「悪性の癌です。」
正式な病名は「子宮平滑筋肉腫」
主人は私を抱き寄せた。
全身の力が抜けていくのを感じた。
ふっと倒れそうになった瞬間、私を囲んでいた看護師さん達が私の身体を支えていた。
ショックがあまりにも大きすぎると、涙も声も出ない・・・
その後のやりとりは、主人が何か主治医と話していたが、全く思い出せない。
それから、先ずは両卵巣と体網の全摘出手術を受けるか否かの選択となった。
今の自分の置かれている状況を、受け入れないと先には進めない。
1回目の手術の僅か1週間後の12月18日に2回目の手術日が決まり、病室に戻った。
どのように病室に戻ったかは思い出せないが、ベッドに座って少しだけ泣いた・・・
でも今は涙を見せられない。
なぜなら両親がこのタイミングで、フルーツバスケットを下げてお見舞いに来てくれて
いたのだ。
「あら! 点滴して横になっていると思ったら、もうベッドに座れるのね。良かったね。
よく頑張ったね。」
と笑顔で安堵する両親に、私は必死で微笑んだ。
この深刻な状況の中であった。
「私は生きている・・・」
(次回は <バイパス手術> です)