私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

僕はうつ病です。

原因は最愛の妻の死です。

2014年5月12日 がんで亡くなりました。

このBlogは妻が亡くなる前日に、最後に交わした妻との約束を果たす為に本日(2019年3月1日)から始めました。

妻と僕が直面した「癌」という病気の実体験から、現在がんと闘っているあなたとそのご家族、すでに最愛の人を亡くされてしまったあなた、そして毎日健康に過ごされているあなたに、是非このBlogで「何か」を感じて頂ければ嬉しいです。

 

<予兆>

2009年 当時、僕(53歳)はごく普通のサラリーマン。

妻(49歳)は声楽家でN学園の声楽講師として一般の方に声楽を教えていました。

妻はその年の5月にN学園主催のコンサートに出演するために、3ヶ月前から毎日念入りに準備をしていました。

200席ほどのミニコンサートでしたが、四季を綴った日本歌曲や代表的なオペラなど

約1時間30分間歌い終えた時には、大きな拍手の渦と共に僕の目からは感動の涙が流れていました。

(ここだけの話ですが、実は僕が世界で1番、彼女のファンなのです)

ただ、楽屋に戻ってきた妻は何か浮かない顔をしてポツリと一言・・・

「いつもより声が出ていなかった・・・」

その時は妻も僕も、さほど気にはせずに妻の両親、友人達、スタッフと打ち上げの食事会で盛り上がりました。

しかし、その3ヶ月後、少しずつ妻の身体に変化が現れ始めました。

毎日のように貧血、立ちくらみ、倦怠感、そして子宮から大量の出血・・・

診察の結果は「子宮筋腫」でした。

産婦人科医からは子宮を全摘出すれば問題ないとの説明でした。

ただ、大量の出血が原因で血液中のヘモグロビンが異常に少なくて、とても手術ができる状態ではなかったので、血液を増やすために週に1回通院することになり、その結果

初診から4ヶ月後の12月11日に子宮全摘出手術を受けることになりました。

術後1週間もすれば退院できるとのことだったので、「お正月は家で一緒に過ごせるね。」って嬉しそうに笑顔で手術室に入っていった時の妻の笑顔は今も忘れません。

12月11日午前中から始まった手術は予定時刻を大幅に過ぎて、夕方になりようやく終わりました。

妻はICUに運ばれて、僕は担当医から術後の説明を受けるために医師が待つ部屋に行きました。

部屋に入るとテーブルの上には銀色のトレーの上に無造作に置かれた生臭い肉塊と、暗い表情の重なって見え、とても異様な雰囲気でした。

(次回は <宣告> です)