私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
2009年12月に、子宮全摘出手術、両卵巣、体網全摘出手術と
1ヶ月の間に2回の手術をしてから1年が経った2010年12月。
この1年間、「子宮平滑筋肉腫」について必死に調べました。
その結果、当時の医学では適切な治療方法がないことが分かりました。
そんな絶望の日々を送っている中、ハワイで同じ病気の方が3人根治して
いることを、ハワイの新聞の小さな記事で見つけました。
確かに、余命幾ばくもない癌患者が、大好きなハワイを「終の棲家」として
移住し、毎日食べたい物を食べ、やりたいことをやって、ストレスフリーに
過ごしていたら、余命を宣告されたにもかかわらず、1年で癌細胞が綺麗に
跡形も無く消えてしまったという人の話を、友人から聞いたことがありました。
「これだ!」と思い、その事実を確かめるためと、肺への転移を告げられ、
再び抗がん剤治療を受けなければならなくなり、意気消沈している妻に
勇気を奮い立たせる意味も兼ねて、ハワイ行きを決めました。
その時の妻の手記を紹介します。
<一日の大切さ>
穏やかに元気いっぱいな笑顔で、「転移」の化学療法を受けるための
パワーチャージとして、今またハワイに来ている。
2ヶ月前にハワイの友人達に「また帰ってきます」と言ったばかりで、
本当に12月に帰ってきたのだった。
友人達には帰国翌日から入院して、再度抗がん剤治療が始まることを話した。
みんな目を丸くして「本当?嘘でしょう?」と心配してくれた。
多分、いえ、間違いなくハワイで元気チャージしている私が、
溢れんばかりの笑顔であったからだろう。
今回は何をするわけでも無く、ゆったりとした時を過ごした。
今までのハワイでの過ごし方といったら、美しいサンセットを見ることも無く、
買い物三昧で、ショッピングセンターを出る頃には、既に日は落ちて
夜になっていた。
目の前のビーチに出かけることもせず帰国。
その時はそれで満足していた。
しかし今回の渡航で70回を超えてからは、自分の生き方を見つめ直す・・・
ちょっと大袈裟かもしれないが、病気になって「一日一日の大切さ」を
実感してからは、ハワイでの過ごし方が一変していた。
気が向いた方向に歩いてみる・・・。
今まで目を向けることの無かった草や木、小鳥たちに語りかけるように
ゆったりと時を過ごした。
ちょっとだけ贅沢に、ホテルのオープンエアーで
鳩とシェアしながらの朝食を、ゆるい時間の中でゆったりと、
ビーチを目前に波の音を聞きながら、
太陽の日差しを浴びながら食べる至福の時間。
オレンジ色のレストランのパラソル、青い海、澄み切った青空に
筆を添えたような白い雲がぷかぷかと・・・
発着していく飛行機・・・ただ浮かんでいるかのように見える船・・・
水の注がれたグラス越しに海を見る・・・
ダイヤモンドヘッドは氷と海に反射して、キラキラ~っとグラスの中に
浮かんでいる・・・
生きているから感じられること・・・
夕方はホテルのプールサイド越しに、サンセットを眺めた。
まるで絵画の世界のように、飛び立つ飛行機と、ヨットのシルエット・・・
静かに夕日とシンクロしながら、幻想的に色が変化していく・・・
涼しい風に夕暮れを感じる・・・
大自然の織りなすこの美しい時間を見つめていると、心が震える・・・
センチメンタルにも似たピュアな気持ちに導かれたような・・・
美しい夕焼け色が少しずつ消えていくにつれ、満天に輝く星空が、
新たな景色を生み出していく・・・
なんて極上な時だろう・・・
私は生きている・・・
(次回は <前向きな気持ち> です)