2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

私は生きている・・・  自らの演出

2014年5月10日 妻が亡くなる2日前に、妻から、 「お願いがあるから、書き留めて欲しい。」 と言われました。 まだこの時点では、少し会話ができました。 お願いの内容を聞いて、僕は言葉を失いました・・・ その願いとは・・・ 自分の葬儀の演出でした。 1 …

私は生きている・・・  葛藤

「苦しいから・・・楽にして・・・」 妻の唇が、そう動きました・・・ 僕は担当医にお願いしました・・・ 「妻を楽にしてあげてください・・・」 「モルヒネの量を増やせば、苦しみはなくなりますが、 会話はできなくなります」 「お願いします・・・」 つな…

私は生きている・・・   旅立ち

2014年5月9日 妻は自宅で呼吸困難に陥り、意識を失い、 かかりつけの病院に救急搬送されました・・・ その時すでに、妻の肺は子宮から転移した癌細胞で、 片方の肺は全く機能しておらず、 もう片方の肺も半分以上は潰れた状態でした・・・ 担当医の迅速で的…

私は生きている・・・  救急搬送

2014年5月9日 夜 妻は呼吸困難で、長年お世話になっている病院に 救急搬送されました。 その日、担当医のH先生は休日でしたが、病院から連絡が入り、 救急車が到着するまでに病院で待機してくれていました。 病院到着後、すぐに治療室に運ばれて検査が始まり…

私は生きている・・・( 助けて・・・ )

2014年1月に担当医から、後5ヶ月・・・と余命を告げられ、 おそらく最後になるであろうハワイに、 4月24日から5月7日までの、2週間の休暇を取り、 ホテルの部屋には酸素ボンベを用意しての旅行でした・・・ 妻は、「今回が最後」と覚悟を決めていたようでし…

私は生きている・・・ ( 別れ )

いつもは妻の手記を紹介していましたが、 実は前回が最後の手記でした。 放射線治療を受けてからは、体調が思わしくなく、 歌の仕事とコラムだけにして、後は家で過ごす時間が 増えていきました。 ハワイに移住して治療をするために準備していたE2ビザの 取…

私は生きている・・・

今日、ある方のblogを読んで、いつもの内容ではなく、 自分自身の事を、少しだけ書こうと思います。 僕の子供の頃の近所での評判は、「親思いの良い子」でした。 自分で言うのもおかしいですが、確かに「良い子」でした・・・ というより、「良い子」を演じ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

心臓を圧迫する4.3㎝の腫瘍にアタックするための、 5分間の放射線治療のために、 月曜から金曜の毎日、30日間の通院をしました。 この頃の妻は、体力が目に見えて落ち始めてきたので、 毎回、往復2時間をかけて車で送り迎えをしました。 治療の効果は10回目…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

このBlogは、今年の3月1日からスタートして、 今回の掲載で40回になりました。 Blogを始めようと思ったきっかけは、 妻が亡くなる前日に書き残したメモの内容を、 あらためて僕自身の心の中に焼き付け、 そして妻と交わした最後の約束を果たすためです。 そ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻の仕事はプロの声楽家です。 普段は一般の方に歌を教えていて、 年に2~3回、オファーがあり、 単独ライブや、ハワイアンなどとコラボしたりしています。 妻にとって歌う事は、仕事であり、元気の源です。 もう一つ、元気になれるのが、ハワイです。 ハワ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は、ハワイから帰国するとすぐに、 コラムの内容を考え始めました。 今までの自分自身の闘病の様子を知ってもらい、 今、癌と闘っている人達の心に寄り添い、気持ちを共有し、 少しでも、元気に、明るく、笑顔でいられるような 内容にしたい・・・ そのた…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻のラジオ出演が無事に終わり、 次は、新聞社との打ち合わせ場所に向かいました。 ハワイに起業した会社の紹介記事と、募集記事を 掲載するための、内容の打ち合わせです。 待ち合わせ場所に行くと、すでに女性の担当記者さんが 待っていました。 ハワイの…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

アラモアナセンター内にある、ガラス張りの収録ブースで、 ラジオ番組にゲストで招かれた妻が、笑顔で語っています。 少し日焼けした笑顔は、とてもチャーミングで、 ブースの外には、収録を見る地元の人や買い物客で、 いっぱいになってきました。 僕は関係…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

「子宮平滑筋肉腫」は 当時、日本の医療では完治しないことがわかり、 妻には内緒で進めていた、ハワイへ移住しての治療のため、 ハワイに会社を設立する計画は、着々と準備が整い、 2012年7月に、アラモアナセンターから車で5分の、 フォート・ストリート・…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に突然、4ヶ月の余命宣告をされたにもかかわらず、 2012年に、3度目の新年を迎えられたことは、 正直、驚きでもあり、大きな喜びでもありました。 ただ、この2年間は、常に「死」と背中合わせで、 いつ「その日」が来てもおかしくない状況でした。…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

ついに3年連続、3回目の手術のために、今年もXmas、年越しは 病院で迎えることになりました。 子宮から始まり、体網、肺、肝臓、胆嚢へと次々に転移していきます。 妻の病気は 「子宮平滑筋肉腫」ステージ4 5年以上の生存率は、僅か5%未満という難病です。 …

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2011年12月15日 3年連続3度目の12月の入院、 3回の手術で、肺から肝臓、胆嚢へ転移した癌細胞の 摘出手術が始まりました。 1回目は2009年12月11日に子宮全摘出手術、 2回目は1週間後の12月18日に両卵巣、体網の全摘出手術、 2010年12月は、肺に転移が見つか…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年 12月11日 子宮全摘出手術、 12月18日 両卵巣、体網全摘出手術 余命宣告される 2010年 7月28日 アナフィラキシーショック 11月13日 PET検査の結果、肺への転移を確認 2011年 1月 友人の死 3月11日 東日本大震災 そして11月・・・肝臓への転移を告げら…