私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
9日間の化学療法のための入院、退院してから約1ヶ月の間、週2回の通院、その間に
歌の仕事、そしてまた入院という繰り返しの日々。
一見、着実に回復に向かっているように思えるが、悪性の癌細胞は少しずつ静かに、
妻の身体を蝕んでいきました。
そしてついに、その兆候が現れてきました。
検査中の急な体調変化が起きたときの、妻の手記を紹介します。
<ストレッチャー>
抗がん剤の長く苦しかった半年の日々から解放され、6月には第6クールの終了日
当日に、退院祝いとしてハワイで思いっきりパワーチャージしてきたので、うっとうしい梅雨の季節も乗り越えて夏を迎えていた。
化学療法後の腫瘍評価の定期検診以外は、徐々に普通の生活に戻っていった。
髪は1㎝ほど生え始め、ハワイでのリハビリリフレッシュ効果もあり、少しずつ味覚も戻り始め、睡眠薬もたまに服用するだけで、眠ることも出来るようになった。
小麦色にこんがり日焼けした、健康そうに見える自分の姿にも元気付けられ、
2010年7月28日、N学園の講座の日を迎えていた。
この日はいつもの検診の日であった。
朝9時に採血、その後CTの検査を済ませてからでも、十分に仕事に間に合うので、ゆとりの経過観察として、いつも通りに受けていた。造影剤が点滴を通して、身体に浸透していくのを感じた。
一瞬にして、いつも身体が喉のあたりから足の付け根までカーッと熱くなり、検査室からの「息を吸って・・・止めて・・・」の声を聞きながら、私の上半身をCTの機械がクルクル回って、10分足らずで「お疲れ様でした」の技師さんの声で終わるはずであった。
しかしこの日はいつもと違っていた。
まず造影剤が身体に浸透するや否や、くしゅん、くしゅんとくしゃみが出てきたのだ。
「あら?どうしたの?」と考える間もなく、今度は足の裏からムズムズとかゆみを
感じ始め、今度は足に激痛がはしった。
私はこの時、今日の講座は我慢しながら立って指導できるか考えていた。
この状況下でありながら、仕事の心配がよぎっていた。
だが、今までに感じたことの無い不気味な痛み、追い打ちをかけるように、
頭が締め付けられ激痛が走り、吐き気までしてきたのだ。
普段は技師の方々は、CTが始まると、別室にいるのだが、この日は私の異変に気づき、
途中で「大丈夫ですか?」と聞きにきたのだ。
私は仕事のことが頭から離れず、我慢できるものなら・・・と気力と闘ったが、
「気持ち悪いです・・・」と答えていた。
気を失っていたのだろうか・・・気が付くと私の周りには、すでに婦人科の先生をはじめ、検査技師、薬剤師、看護婦・・・8人くらいに囲まれていた。
足を上げ、血圧を測っているようだ・・・
「血圧上60?下30?造影剤の点滴は外したの?」
殺気だった声が飛び交っていた。
「アナフィラキシーショックです」の声が遠くで聞こえ、別の点滴に付け替えられ、
ストレッチャーに移されてERに運び出される。
主人は何も知らずに検査が終わるのを廊下で待っていた。
その前を私を乗せたストレッチャーが猛スピードで通り過ぎる。
「え?何が起きたのですか?」と聞きながら、後について走ってくる。
「私はどうなるの・・・?」
医師の「危険な状態です。」の声がかすかに聞こえた・・・
私は生きている・・・
(次回は <アナフィラキシーショック です)