私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
抗がん剤治療にも、癌の種類、ステージ、年齢などの違いで、抗がん剤の種類、
入院期間、クール数などなど、1人1人、それぞれ治療方法が違います。
殆どの場合、この癌にはこの抗がん剤と決まった治療方法があるのですが、
妻の病い「子宮平滑筋肉腫」には明確な治療方法が無く、抗がん剤も、いろいろ試した結果、「これが合いそうだ」というものを投与するという、実験的な治療方法で、
「この苦しい時期を頑張れば、必ずまた元のように元気になる。」という希望ではなく「本当に完治などできるのだろうか?」という疑問が、日に日に増していきました。
そんな不安な闘病生活を送っていたある日、妻が主治医から呼ばれました。
その時の妻の手記を紹介します。
<癌友>
担当医が私に話しがあると呼びに来た。
一瞬にして緊張が走った。
「何?」 化学療法3クール目の入院半ばの頃だった。
私は抗がん剤の点滴をガラガラ押し、ドキドキしながら、カンファレンスルームに入っていった。
すると、担当医のH先生からの予想だにしない言葉に、私はホッとし過ぎて、思わず
ため口になっていた。
「なーんだ、何事かと思って緊張したじゃない!もう、先生ったら、心臓に悪いじゃな
いの!!」と安堵の顔で話した。
話しの内容は、同室の方で、これから初めて化学療法を受けるのだけど、私が誰かと
抗がん剤の話しをしているのが聞こえて、抗がん剤治療をしている人なのだと分かり、
その声がとても明るかったので、
「会って話しをしたいと言われたのだけど、体調の良い時に大丈夫ですか?」ということだった。
「勿論、私で良ければ喜んで。」と承諾した。
間もなく彼女はH先生と共に、私のベッドにやってきた。
お互い自己紹介を交わし、2人になった。
私は脱毛していたので、ニット帽を被っていた。
「突然お願いしたのに会ってくれてありがとうございます。」
ニッコリ挨拶してくれた。
彼女はスレンダーで、ライトブラウンの長い髪で、チャーミングな美人であった。
しかしその表情は、とても沈んでいた。
彼女は卵巣癌だった。
抗がん剤に対して、底知れぬ不安に駆られているのは、一目で分かった。
私はニット帽を脱ぎ、ツルツル頭を見せた。
少しでも今後、彼女に間違いなく起こる副作用を伝えたかった。
ビクッとして私の頭を見ながら、自分の長い髪の毛先を指でクルクルしていた。
彼女は視線を落としながら、「本当に抜けちゃうの?信じられない・・・」
と、今にも泣き出しそうな様子。
私はあえて笑顔で元気に話した。
「抗がん剤は悪玉菌を殺すけど、善玉菌も殺しちゃうのよね。でも、副作用が出るって
ことは、薬が効いて癌細胞がやっつけられている証拠。今はお洒落なウイックが沢山
あるから大丈夫。」と、私のウイックを見せた。
彼女の気持ちが痛いほど分かるだけに、すぐに現実となる脱毛の始まりの時のショックを思うと切なくなり、泣きそうな私とも闘っていた。
1ヶ月前の私が思い出された。
1時間ほど話した。
彼女は私と話しができて、かなり気が楽になったみたいだった。
私と会っていなっかたら、これから起こる現実に立ち向かう勇気が持てなかったと
言ってくれた。
その言葉は、私自身にもエールとなった。
癌患者と話しをするのは初めてだった。
そして彼女とは、お互いに励まし合いながら続く、素敵な出会いの始まりでもあった。
私は生きている・・・
(次回は <付けまつ毛> です)