私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
2010年12月、ハワイから帰国してすぐに長年勤めていた会社に
辞職願いを提出しました。
入社当時から大変お世話になった社長に、妻の病気は日本では
完治するのが難しい事、このままでは4年以上生きる事ができるか
分からない事など、初めて身内以外の人に苦しい胸の内を
話しました。
話している途中で涙が止まらなくなり、社長も泣いていました。
今後はハワイに移住して、向こうで手術を受ける事を話しました。
一番お金がかからずに移住する方法としては、グリーンカードの取得
ですが、抽選に当たらなければならず、確実性に欠けます。
そこで選んだ方法は、E2ビザ(投資ビザ)の取得です。
まず、代行会社に依頼してハワイに会社を起業します。
起業した後に、向こうの移民弁護士にE2ビザの申請を依頼して
ビザを発行してもらえば、とりあえず5年間の滞在が許されます。
しかしそれには想像していた以上の困難が待ち受けていました。
その頃、妻は肺に転移した癌の治療のため、二度目の病院での
Xmasを迎えようとしていました。
その時の妻の手記を紹介します。
<2度目のXmas>
癌患者となり、肺への転移の治療として化学療法、抗がん剤治療を受けるため
2年連続(2009,2010)Xmasを病院で迎えることとなった。
病院に飾られたクリスマスツリーの電飾の明かりが、
病棟の廊下でピカピカと温かさを感じさせていた。
生死を彷徨っていた1年前は、このような季節の装飾にも気が付く事も無く、
12月に2回の手術後の激痛、吐き気と闘っていたことを思い出していた。
そして今、抗がん剤の血管痛の新たな痛みと闘っている。
「あ~ぁ、今年も病院でクリスマスかぁ~、家族とすごしたいなぁ~、
大好きなイチゴのクリスマスケーキ食べたいなぁ~」と思うと、
何だかとても寂しい気分になっていた。
まさにその時!看護師さんがニコニコしながら、クール宅急便を病室に
届けてくれたのだ。
なんとクリスマスケーキが、大阪に住む友人からサプライズプレゼント
として贈られてきたのだ。
早速開けてみると、ピンク色をしたラズベリーのベースに、
可愛いウサギが、クッキーでできたクリスマスツリーの陰から
チョコンと顔を出していた。
可愛らしくも、大人味の甘酸っぱいお洒落なケーキであった。
一瞬にして病室が甘い香りに包まれた。
私だけでは到底食べきれる量ではない。
家族やお見舞いに来てくれた友人と、少しずつ食べるという
プチクリスマスを、その度に味わっていた。
味覚障害ではあったが、十分に雰囲気は味わえた。
病院のベッドには、ハワイで買ってきた小さな熊のマスコットを
つるしていた。
お腹に「I ♥HAWAII」の刺繍が入っている。
HAWAIIの活字を見るだけでも元気付けられ、笑顔になっている
私がいた。
みんなの優しさをしみじみ感じたクリスマスであった。
そして今年も2年連続年越しを病院で迎えることとなった。
思い起こせば1年の間に、2回の手術、6クールの抗がん剤を受け、
吐き気、脱毛、不眠、味覚障害・・・
根治に向かっていたはずが、肺への転移が見つかり、今また新たな
抗がん剤治療がスタートしている。
なんと激動な1年であったことか・・・
余命を告げられながらも、笑顔を忘れずに日々過ごし、
講座♫の日になると、極上の笑顔で受講生の前で明るく歌って
指導している私がいる。
頑張ってくれた自分の身体に「ありがとう」と感謝した。
私を支えてくれた主人、娘、両親、H先生、看護師のみなさん、
友人達の顔を思い出しながら、感謝した。
私は、病院ではあるが、新年を迎えることができた喜びに
溢れていた。
私は生きている・・・
(次回は <Kさんからの電話> です)