私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に2度の手術、「桜は見られるか分かりません」と、4ヶ月という

突然の余命宣告をされましたが、何とか乗り越えて安心したのも束の間、7月には造影剤によるアナフィラキシーショックで死にかけ、抗がん剤の副作用と闘いながら、何とか8月を迎えることができました。

これだけの短期間で、3度も「死ぬ思い」をしても常に笑顔で、力強く生きている妻を

誇りにさえ思います。

8月も半ばを過ぎた頃、突然「犬を飼いたい」と妻が言い出しました。

気分転換にもなるし、僕も犬は大好きなので、早速ペットショップ巡りを始めました。

その頃の妻の手記を紹介します。

 

<新しい家族>

突然8月半ば頃から、ペットショップ巡りの日々が始まった。

何十軒のペットショップに足を運んだだろうか・・・

おそらく100匹以上の子犬を抱っこさせてもらった。

ヨーキー、マルチーズ、チワワ、ダックス、トイプードルなど、主に小型犬を探して

いた。

子犬ということもあり、どの犬も可愛かったが、ピンとくる子がいなかった。

9月末からハワイに行く数日前に、あるペットショップで、不思議な動きをしている、

ブラックタンのロングコートチワワに私は惹き付けられていた。

ゲージに二本足で立ち、まるでフラダンスを踊っているかのようなその仕草は、愛嬌があり、また吠えることをせず、大人しい子であった。

すでにスタッフからは、この不思議ちゃんの動きから「ウナギ」というニックネームが

付けられていた。

家に帰ったものの、愛くるしいそのチワワが気になり、翌日、早々にペットショップに出向き、我が家の家族になった。

しかし翌々日はハワイ・・・とりあえず契約だけ済ませ、帰国後に迎えに来る約束をした。

名前はいろいろ考えた末、ハワイが大好きな我が家は「アロハ」と名付けた。

今回のハワイは「アロハ」の洋服、おもちゃ、お菓子、リード、首輪、キャリーバッグなど、900グラムの子犬にスーツケースいっぱいのお買い物。

嬉しいことにハワイの商品は、特別名前のオーダーをしなくても、様々なグッズにキラキラ文字やラインストーンで「Aloha」とプリントされていた。

今回のハワイは、いつもと視点が180度違っていた。

犬を連れてお散歩している人に、積極的に声をかけ、写真も撮らせてもらった。

今まで全く気付かなかったが、犬を連れている人ばかりが目に入った。

犬を通してのふれ合いを持てた1週間であった。

抗がん剤治療の終了後4ヶ月の間で、2度目のハワイで更なるパワーをチャージして、

元気に帰国。

成田空港からペットショップに直行して、たくさんのお土産と共に、新しい家族の

「アロハ」と一緒に帰宅した。

日本は10月というものの、汗ばむ青空の下で、アロハとの散歩の日々が日課となり、

穏やかな笑顔の毎日を送っていた。

帰国して2週間後に、いつもの検診日がおとずれた。

この日の午後からはN学園の指導日でもあった。

癌友のRちゃんも検診日だった。ハワイのお土産を持参して病院へ。

そして診察室に・・・

担当医から前回撮ったCT、レントゲンの画像を見せられた。

そして静かに指さしながら、

「肺に怪しい影があります・・・」

「それって・・・転移・・・ですか?」

一瞬にして血の気が引いていくのを感じた・・・

 

私は生きている・・・

 

(次回は <長い一日> です)