私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻の病は「子宮平滑筋肉腫」

悪性の進行癌で、5年以上の生存率は僅か5%未満という10万人に1人にしか

発症しない難病です。

ましてや12月に余命2週間と告げられ、長くても翌年の桜が見られるかわからない状態でした。

12月11日に子宮全摘出手術、その僅か1週間後に両卵巣と体網の全摘出手術・・・

妻には余命の話しなどできませんでした。

その時は、妻に初めて嘘をつきました。

その頃の妻の手記を紹介します。

 

手記2 <バイパス手術>

バタバタバタ~

廊下をものすごい勢いで駆けてくる音がした。

主人が血相を変えて飛び込むように入ってきた。

ベッドで看護師さんに支えられながら座っている私を見るや否や、

「あ~よかった~。」と涙ぐみながら床にしゃがみ込んだ。

まるでスローモーションを見ているかのように、私は何事が起こったのか分らず、

はぁはぁと息を切らしている主人をキョトンと見ていた。

落ち着いてから経緯を聞くと、約2時間前に病院から主人の携帯に

「詳しい事は電話では話せないので、至急病院に来てください。」と

連絡があったのだ。

術後1週間近くになるのに、激痛はエンドレス、ベッドに寝たきりで自力で動くことは

勿論のこと、手を上げる事すらできず、検査への移動は車椅子に座る体力すら無く、全てストレッチャー・・・

それほど予断をを許さない病状だったため、「私の身に何か・・・」

病院までの2時間以上もの道のりで、「神様、どうか妻を助けてください・・」

と、祈りながらたどり着いたのだ。

時を同じくして、「私はこのまま寝たきりになりたくない。早く元気になりたい。」

という気持ちが急に湧いていたのだっつた。

ほんの30分前までは身動きが取れなかったのに、自ら担当医に「座ってみます。」

と言って、力の限り身体を起こし、支えられてはいたがベッドに横座りして、足も

ブラブラ下げてみた。

僅かではあったが、姿勢を変えることによって鎮痛したのだ。

以心伝心!?主人の気持ちが通じ、私を動かしたのかもしれない。

余命2週間のカウントダウンがすでに始まっていたさなかの突然の呼び出し。

主人だけに宣告されていたので、その時の心情たるものは耐え難いものだっただろう。

世の中はクリスマス。

我が家も、いつもならお洒落をしてホテルのディナーのはずだった。

病院で迎えることになったクリスマス。

私は何も食べられなかったが、病院食に添えられてきた看護師さん達の手作りの

クリスマスカードはありがたく頂いた。

「メリークリスマス 一緒に頑張っていきましょう」

と書かれた手書きの字に温かさを感じた。

翌日から抗がん剤の点滴が始まった。

シスプラチン、イホスファミド、ドキソルビシン塩酸塩を9時間ワンクールとして

受けるのであった。

しかし「痛い思いはもう嫌だ!」という自分の気持ちが血管に伝わったのか、注射針から

血管が逃げ回る・・・

採血でさえ40分もかかる始末。

遂に首の下あたりに、点滴の通りをよくするためのバイパスの手術を受けたのだ。

そして朝から夜まで続く化学療法が始まった。

副作用の冊子は一読していたが・・・

壮絶な日々が待っていた・・・

 

私は生きている・・・

 

(次回は <大晦日> です)