私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月11日に子宮全摘出手術、12月18日に両卵巣、体網の摘出手術と、

僅か1週間のうちに2度の大手術、その後の抗がん剤の副作用にも耐え、担当医から告げられた余命にも決して落胆せず、諦めないで「必ず完治する」という強い信念で病気に立ち向かっている妻を、僕は誇りに思いました。

「この人のためなら、僕ができる全てのことをやろう。」と心に誓いました。

3ヶ月間は絶対安静の状態の中、術後僅か1ヶ月で仕事に復帰して、半年でハワイ旅行が

できるまでになりました。

改めて妻には「歌」という仕事が、奇跡を起こしているように思いました。

そして、この「ご褒美旅行」で、更に僕を驚かせる行動に出たのです。

それは健康体でも息が切れる、ダイヤモンドヘッドの登頂でした。

その時の妻の手記を紹介します。

 

<歌とハワイは特効薬>

余命2週間と言われた私が「ハワイ」というどんな薬にも勝る特効薬を、この大自然

中で、太陽、月、星、空、海、虹、風を自分への贈り物として、全身で受け止めながら

今日も元気に目覚めたことに感謝する。

大きく深呼吸すると、プルメリアの甘い香りを感じる。

小鳥のさえずりに優しさを感じ、オープンエアーでの食事の時は、嫌われがちな

鳩にさえ、「みんな元気に生きてるね。」って微笑んでしまう。

日本での喧噪な毎日の中では「当たり前のありがたさ」に気が付かずに生活している。

暑いとか、寒いとか・・・とんでもなくくだらない事に、不平不満を言っている。

しかし、もし生きていられても桜が見られるか分からないと、余命を宣告された私には

どれだけ「普通の日々」が送れることが幸せか、このハワイで大きく深呼しながら、

喜びを噛みしめていた。

私は更なるパワーを求めて、ダイヤモンドヘッドに登った。

主人としっかり手を握り、ゆっくり一歩一歩前進する。

病院を退院して僅か4日目のことである。

「カイマナヒラ」を口ずさみながら進む。

ハワイの風が、まるで私の背中を押すかのように・・・

そして遂に登頂記念の用紙にサインした。

名前 JUN 02 2010

頂上のあの爽やかな風の心地よさと、大パノラマは心を癒やしてくれた。

ワイキキビーチを見下ろして、生きている喜びを、鳥肌が立つほど感じていたのだ。登りきった時に得た達成感は、筆舌に尽くしがたいものであった。

実は私が病人らしからぬ行動をとるのには、理由がある。

ハワイという特効薬と同じくらいの効力がある「歌」があるからだ。

私はN学園で声楽の講師として、シニアの方々に歌の指導をしている。

壮絶な入院生活の日々を送る中で新年を迎え、年初めの講座が控えていた。

休講させたくない一心で、主治医にお願いして、気力で病院から仕事場に向かった。

抗がん剤の治療もすでに始まり、白血球の数値が下がっていたため、歌の指導をするにもかかわらず、マスクを付け、椅子に座っての指導が条件であった。

指導という使命感が、私の背中を押していた。

背筋を伸ばして、笑顔で受講生に新年の挨拶をした。

そしてマスク越しに歌い、指導した。

まだ抜糸間もなく、痛む下腹部を押えながら、1時間半の講座を無事終了することが

できたのだ。

職場にも受講生にも、子宮筋腫だったと嘘を付いて、元気に振る舞った。

術後、2週間足らずの時だった。

今度は職場から病院への帰宅だった。

それでも仕事ができた喜びに、感無量だった。

 

私は生きている・・・

 

(次回は <味覚障害> です)