私は生きている・・・  救急搬送

2014年5月9日 夜 妻は呼吸困難で、長年お世話になっている病院に 救急搬送されました。 その日、担当医のH先生は休日でしたが、病院から連絡が入り、 救急車が到着するまでに病院で待機してくれていました。 病院到着後、すぐに治療室に運ばれて検査が始まり…

私は生きている・・・( 助けて・・・ )

2014年1月に担当医から、後5ヶ月・・・と余命を告げられ、 おそらく最後になるであろうハワイに、 4月24日から5月7日までの、2週間の休暇を取り、 ホテルの部屋には酸素ボンベを用意しての旅行でした・・・ 妻は、「今回が最後」と覚悟を決めていたようでし…

私は生きている・・・ ( 別れ )

いつもは妻の手記を紹介していましたが、 実は前回が最後の手記でした。 放射線治療を受けてからは、体調が思わしくなく、 歌の仕事とコラムだけにして、後は家で過ごす時間が 増えていきました。 ハワイに移住して治療をするために準備していたE2ビザの 取…

私は生きている・・・

今日、ある方のblogを読んで、いつもの内容ではなく、 自分自身の事を、少しだけ書こうと思います。 僕の子供の頃の近所での評判は、「親思いの良い子」でした。 自分で言うのもおかしいですが、確かに「良い子」でした・・・ というより、「良い子」を演じ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

心臓を圧迫する4.3㎝の腫瘍にアタックするための、 5分間の放射線治療のために、 月曜から金曜の毎日、30日間の通院をしました。 この頃の妻は、体力が目に見えて落ち始めてきたので、 毎回、往復2時間をかけて車で送り迎えをしました。 治療の効果は10回目…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

このBlogは、今年の3月1日からスタートして、 今回の掲載で40回になりました。 Blogを始めようと思ったきっかけは、 妻が亡くなる前日に書き残したメモの内容を、 あらためて僕自身の心の中に焼き付け、 そして妻と交わした最後の約束を果たすためです。 そ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻の仕事はプロの声楽家です。 普段は一般の方に歌を教えていて、 年に2~3回、オファーがあり、 単独ライブや、ハワイアンなどとコラボしたりしています。 妻にとって歌う事は、仕事であり、元気の源です。 もう一つ、元気になれるのが、ハワイです。 ハワ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は、ハワイから帰国するとすぐに、 コラムの内容を考え始めました。 今までの自分自身の闘病の様子を知ってもらい、 今、癌と闘っている人達の心に寄り添い、気持ちを共有し、 少しでも、元気に、明るく、笑顔でいられるような 内容にしたい・・・ そのた…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻のラジオ出演が無事に終わり、 次は、新聞社との打ち合わせ場所に向かいました。 ハワイに起業した会社の紹介記事と、募集記事を 掲載するための、内容の打ち合わせです。 待ち合わせ場所に行くと、すでに女性の担当記者さんが 待っていました。 ハワイの…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

アラモアナセンター内にある、ガラス張りの収録ブースで、 ラジオ番組にゲストで招かれた妻が、笑顔で語っています。 少し日焼けした笑顔は、とてもチャーミングで、 ブースの外には、収録を見る地元の人や買い物客で、 いっぱいになってきました。 僕は関係…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

「子宮平滑筋肉腫」は 当時、日本の医療では完治しないことがわかり、 妻には内緒で進めていた、ハワイへ移住しての治療のため、 ハワイに会社を設立する計画は、着々と準備が整い、 2012年7月に、アラモアナセンターから車で5分の、 フォート・ストリート・…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に突然、4ヶ月の余命宣告をされたにもかかわらず、 2012年に、3度目の新年を迎えられたことは、 正直、驚きでもあり、大きな喜びでもありました。 ただ、この2年間は、常に「死」と背中合わせで、 いつ「その日」が来てもおかしくない状況でした。…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

ついに3年連続、3回目の手術のために、今年もXmas、年越しは 病院で迎えることになりました。 子宮から始まり、体網、肺、肝臓、胆嚢へと次々に転移していきます。 妻の病気は 「子宮平滑筋肉腫」ステージ4 5年以上の生存率は、僅か5%未満という難病です。 …

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2011年12月15日 3年連続3度目の12月の入院、 3回の手術で、肺から肝臓、胆嚢へ転移した癌細胞の 摘出手術が始まりました。 1回目は2009年12月11日に子宮全摘出手術、 2回目は1週間後の12月18日に両卵巣、体網の全摘出手術、 2010年12月は、肺に転移が見つか…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年 12月11日 子宮全摘出手術、 12月18日 両卵巣、体網全摘出手術 余命宣告される 2010年 7月28日 アナフィラキシーショック 11月13日 PET検査の結果、肺への転移を確認 2011年 1月 友人の死 3月11日 東日本大震災 そして11月・・・肝臓への転移を告げら…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は、抗がん剤で起こる様々な副作用に対して、 その度にいろいろと工夫をして、 まるでそれを楽しんでいるかのように、 ポジティブに受け入れていました。 いつ急変するかわからない状態にもかかわらず、 どんなに辛く、苦しくても、毎日笑顔で過ごして い…

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

東日本大震災の被災地の悲惨な映像が連日テレビから流れてくる・・・ この予期せぬ大自然の猛威に、人間は為す術も無い・・・ その日の午前中までは、昨日と変わらない平穏な日常が、 大きく変わっていく・・・ テレビに映し出される映像は、まるで映画でも…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

いつもより遅い昼食を食べていたら、突然下から「ドン!」と 突き上げるような、まるでトラックにでも衝突されたような 強い衝撃の後、大きく部屋全体が揺れ始めました。 すぐに地震だと分かり、何も持たずに愛犬を抱きかかえて 震えている妻の手を引いて、…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

妻は知人の突然の死にかなりのショックを受けましたが、 逆に、生きたくても叶わない知人の気持ちを思うと、 生きなければ・・・という気持ちが強くなっていきました。 3月に入ると、娘の大学受験の合格発表があり、娘の笑顔と 一緒に嬉しい報告が入るように…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に2度の手術後、いきなり2週間の余命宣告、 もっても、翌年の桜が見られるかわからないと言われ 常に死の恐怖と闘いながらも、何とか2011年を迎えることが できました。 当時の僕は、長年勤めていた会社を退職して、子宮、両卵巣から 肺に転移した…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2010年12月、ハワイから帰国してすぐに長年勤めていた会社に 辞職願いを提出しました。 入社当時から大変お世話になった社長に、妻の病気は日本では 完治するのが難しい事、このままでは4年以上生きる事ができるか 分からない事など、初めて身内以外の人に苦…

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

今年2度目のハワイは、再び抗がん剤治療を受ける妻へのエールと、 ハワイに移住するための情報収集のためでした。 当時の日本の医学では、「子宮平滑筋肉腫」を完治するのは難しく、 殆どの患者さんが5年以内に亡くなります。 そのため、日本での治療を諦め…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に、子宮全摘出手術、両卵巣、体網全摘出手術と 1ヶ月の間に2回の手術をしてから1年が経った2010年12月。 この1年間、「子宮平滑筋肉腫」について必死に調べました。 東洋医学、西洋医学、漢方、医学書、癌に関する著書・・・ その結果、当時の医…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年 12月11日 子宮全摘出手術 術後の病理検査で「子宮平滑筋肉腫ステージ4」と診断 2009年 12月18日 両卵巣、体網の全摘出手術 2009年 12月末 6ヶ月間の抗がん剤治療開始 2010年 7月28日 造影剤によるアナフィラキシーショック 2010年 11月13日 PET検査の…

私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

どんな病気でもそうですが、最愛の家族が目の前で苦しんでいる姿を 何もできずに、ただ見ているしか無い・・・ 何もしてあげられない自分の無力さ、無念さは言葉では言い表せません。 できることなら、代ってあげたい・・・ それなりの治療方法で、それなり…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

癌患者にとって「転移」という二文字が、どんなに辛い治療であっても耐え抜いて、「必ず根治する」「生きる」という強い意志を、一瞬で打ち砕いてしまうことを、 妻を見ていて思いました。 一度も風邪をひいたことが無かった妻が、突然癌患者になり、たった1…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

「一番恐れていた事が起きてしまった・・・」 2009年12月11日 子宮全摘出手術、術後「子宮平滑筋肉腫」という悪性腫瘍と診断されて、余命4ヶ月を宣告され、その1週間後の12月18日に、腫瘍部分の両卵巣と体網の 全摘出手術、年末からは化学療法がスタート、ま…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に2度の手術、「桜は見られるか分かりません」と、4ヶ月という 突然の余命宣告をされましたが、何とか乗り越えて安心したのも束の間、7月には造影剤によるアナフィラキシーショックで死にかけ、抗がん剤の副作用と闘いながら、何とか8月を迎えるこ…

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

いつものCT検査のはずでした。 僕はいつものように、廊下の長椅子に座り、妻を待っていました。 すると突然、多くの医師や看護師が、慌ただしく検査室に入っていきました。 その中には妻の担当医もいたのですが、何が起きたのか聞くこともできないくらいに …

私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

9日間の化学療法のための入院、退院してから約1ヶ月の間、週2回の通院、その間に 歌の仕事、そしてまた入院という繰り返しの日々。 一見、着実に回復に向かっているように思えるが、悪性の癌細胞は少しずつ静かに、 妻の身体を蝕んでいきました。 そしてつい…