私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
「子宮平滑筋肉腫」は
当時、日本の医療では完治しないことがわかり、
妻には内緒で進めていた、ハワイへ移住しての治療のため、
ハワイに会社を設立する計画は、着々と準備が整い、
2012年7月に、アラモアナセンターから車で5分の、
フォート・ストリート・モールという、銀行や企業が密集する
場所に、事務所を構えることができました。
7月も半ばを過ぎた頃に、アメリカ合衆国から、
できあがったばかりの会社の謄本が、エアメールで届いたので、
7月31日の結婚記念日に、妻に全てを話しました。
長年勤めていた会社を辞めて、ハワイに事務所を構え、起業した事。
ハワイに移住して治療する事。
向こうでの暮らし・・・等々、
話しの途中で、妻は大粒の涙を浮かべながら、
微笑んでいました。
そして2012年9月、
妻はハワイのラジオ出演のため、僕は移住の準備のため、
ハワイを訪れました。
ラジオ出演の時の、妻の手記を紹介します。
<ラジオ出演>
2012年7月31日 結婚記念日♡
いつもなら、ホテルのディナーを予約して、
お互いに用意したプレゼントを交換して・・・だが、
今年は全く違った記念日になった。
私が治療中の子宮平滑筋肉腫は、
5年以上の生存率が5%未満という、
10万人に1人の難病で、
日本では治療方法が無く、
子宮から始まり、2年間で肺、肝臓、胆嚢と
転移を繰り返していた。
「このままでは治らない」と判断した主人が、
ハワイで同じ病気の人が、3人完治したとの情報を得て
ハワイで治療する事を決断して、移住の準備を
密かにしていてくれた。
そして私に手渡されたプレゼントは、
主人がハワイに起業した会社の謄本だった。
言葉では言い表せない、喜び・・・
主人の深い愛に感謝し、涙した・・・
そして、2012年9月
再び、ハワイに帰ってきた。
今回の私の予定は、ハワイの人気ラジオ番組、
「KZOO水曜ナイトシャッフル」にゲスト出演する事だった。
友人のイサオさん(元ジャニーズ出身)と再開し、
作曲家である、故中山晋平氏の親族の池ちゃんとも
意気投合して、音楽談義に花が咲き、
ディナーは、滞在中には必ず1回は来る、
「ピカケテラス」でハワイアンミュージックの生演奏に
包まれながら、4人で人目もはばからず、
大笑いして、そして食べて、飲んだ。
ハワイの風が吹き抜ける、夕暮れのプールサイドの
テラス席・・・
私のお気に入りの場所の一つ♡
そして、イサオさんがディスクジョッキーを務める、
「KZOO水曜ナイトシャッフル」の出演オファーを頂き、
9月6日のゲストとして出演した。
「KZOO水曜ナイトシャッフル、あの日、あの時、あのメロディー」
と、イサオさん、アシスタントのキョウコさんの、
爽やかな進行で本番がスタートした。
番組では、
何故、声楽の道を選んだのか?
N学園での指導の内容などを聞かれ、
みんなで声を合わせて歌う楽しさ、
ハーモニーを作る素晴らしさを実感してもらうこと。
歌詞を丁寧に発音し、
それぞれの頭の中に描く、真っ白なキャンパスに、
歌に対する空気、寒暖、四季の彩り、匂いを感じて欲しい事を、
必ず、譜読みの前の、詩の朗読時から伝えていること。
懐かしい童謡、日本歌曲、世界の歌曲・・・
勿論、受講生さん達も大好きな、カイマナヒラ、小さな竹の下、
ハワイアンウエディングソングなども指導していること・・・等々、
スタート時には緊張していたはずの私は、
いつの間にか、普段と変わらずのマイペーストークに・・・
上手く乗せて頂いて、あっという間に25分が過ぎ、
いよいよ、日本の秋を思い出して貰えるようにと、
日本の童謡を一曲、披露させて頂くことになった。
私は生きている・・・
(次回は <まっかな秋> です)