私は生きている・・・ (最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
2011年12月15日 3年連続3度目の12月の入院、
3回の手術で、肺から肝臓、胆嚢へ転移した癌細胞の
摘出手術が始まりました。
1回目は2009年12月11日に子宮全摘出手術、
2回目は1週間後の12月18日に両卵巣、体網の全摘出手術、
2010年12月は、肺に転移が見つかり、抗がん剤治療のため
年を越しての長期入院、
そして2011年12月 今年も手術のため、入院、
3年連続、病院でのXmas、年越しとなりました。
12月に手術が集中するのには、理由があります。
実は、妻が癌であることを、いっさい内緒にしていたのです。
そのため、12月の仕事納めの後、すぐに入院、手術をして、
翌年の仕事始めには、何事も無かったかのように、
笑顔で歌の指導をしていました。
当然、3回の手術、抗がん剤治療、その副作用、脱毛等、
家族と一部の知人以外は、誰も知り得ませんでした。
誰にも苦しい姿、弱音を吐いている姿は決して見せたくない。
常に笑顔で元気な姿で過ごす。
それが妻の仕事に対する、生き方に対する、
妻なりの「プライド」だったのです。
3度目の手術の時の、妻の手記を紹介します。
< 常勝のハチ巻き >
2011年12月14日に仕事納めをして、翌日より入院。
3度目の手術の入院は、外科病棟であった。
入院に必要な持ち物を、病室の収納引き出しにしまう。
テレビ台の小さなテーブルの上には、コップや飲み物、
置き時計・・・
しばらくの滞在となる私の部屋が、数分でセッティングされた。
もう慣れたものである。
被ってきたウイッグをしまって、ニット帽にチェンジした。
手術前日には、主人、娘、癌友のRちゃんと、ちょっぴり早い
Xmasプレゼントや、心強いエールを受け、病室とは思えない
ほどの笑い声が響いた。
そして夜を迎え、娘が大学受験中にしていた、
「常勝」 と書かれた赤いハチ巻きを、
手首に巻き付けて寝た。
主人は一晩中、私のベッドの隣で過ごした。
朝を迎え、手術前のガイダンスを受けてはいたが、
手術の段取りを熟知している自分が、何だか可笑しくて、
サポートソックスを履きながら、笑ってしまった。
自分の足で歩き、主人にハグとキスをされ、シャカサインをして
オペ室に入っていった。
全身麻酔をかけられる前に、目の上に布がかけられる。
ドクターが
「マツエグですね。数本抜けるかもしれませんよ。」
の言葉に、口元がほぐれた。
そして今回もハワイで楽しんでいる私をワープさせながら、
麻酔に吸い込まれていった、、、
肝臓の7%、肝臓の真下の胆嚢は全摘出した。
オペ室からICUに移動していくストレッチャーの
振動で、聴覚だけは戻りつつあった。
無事手術が終わったことに・・・
今こうして生きていることに・・・
心から安堵し、感謝した。
主人が私の頭を撫でている・・・
しっかり麻酔が効いていて、声を出すこと、瞼を開けること、
身体を動かすことができなかった。
主人と娘の声は聞こえているが、答えることができない
もどかしい時間であった。
娘は手術中に常に主人とメールでやりとりしていたようだ。
何故なら、開腹した時、転移の状況が最悪の時は、
すぐに閉じると言われていたからであった。
5時間経過して、無事に手術が成功してすぐに
「よっしゃー!ウイニングランで病院に行くね!]
と娘からメールがあり、駆けつけてくれた。
今、声が出せないけど・・・
瞳を開けることはできないけど・・・
2人の声はしっかり聞こえているからね・・・
ありがとう・・・
私は生きている・・・
(次回は <3度目のXmas、そして年越し> です)