私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
2009年 12月11日 子宮全摘出手術、
12月18日 両卵巣、体網全摘出手術 余命宣告される
2010年 7月28日 アナフィラキシーショック
11月13日 PET検査の結果、肺への転移を確認
2011年 1月 友人の死
3月11日 東日本大震災
そして11月・・・肝臓への転移を告げられました。
1回目の手術をしてから約2年、この間、抗がん剤治療による
副作用に苦しみ、それでも笑顔を絶やさず、全力で生きてきました。
それでも・・・
何で妻が・・・
悔しくて・・・苦しくて・・・悲しくて・・・
こんな状況におかれても、妻は笑顔でした・・・
その時の妻の手記を紹介します。
< 再び・・・ >
2011年、節電生活にも慣れて、ライフラインの有り難さを、
日々感じながら、暑い夏を乗り切り、秋を迎えた頃、
抗がん剤治療は、3月10日に2クールを残し、10クールを終えて
中断したが、毎月の検査には通院していた。
ところが新たな部位に疑わしい影が・・・
今までに無い沢山の検査内容がオーダーされ、
突然、検査、検査の日々がやってきた。
そして今度は、肺に転移していることが判明・・・
再び転移・・・
担当医のH先生は、抗がん剤治療を提案してきたが、
私の心の中は気持ちが揺らぐこと無く、答えは出ていた。
3度目の脱毛は絶対にあり得なかったので、
迷わず転移した部位の切除を希望した。
H先生は、そんな私の気持ちを理解してくださり、
胆のう、肝臓の専門医を、同じ病院内から選び、
何回も話し合いを繰り返し、執刀してくださることになった。
病棟はこれまでの婦人科から外科に移った。
外科の手術といったリスクを負っても、
今まで経験してきた2度の脱毛、嘔吐、不眠、味覚障害、爪の剥がれの、
壮絶な日々を思い出すと、身体に新たなメスが入っても、
耐え抜けると、自問自答している私がいた。
そして12月の仕事納めを迎えた。
講座で、アベ・マリア、Xmasソング、お正月を歌い、
受講生さん達とは笑顔で
「良いお年をお迎えください」と言葉を交わした。
「先生、またお正月はハワイですか?」の問いに
「人間ドックで胆石が発見されたので、腹腔鏡オペを受けてきます。」
と、明るく答えると、一瞬、驚きの顔を見せたのだが、
「今は日帰りができるんですよね~」
と、深刻な返答ではなくて安堵した。
スタッフに年末のご挨拶をして、N学園を後にした。
そして手術前に、フォトフェイシャル、まつ毛エクステに行ってきた。
3度目の手術を受けるにあたり、自分の身体を信じるといっても、
何が起こるかは予測不能・・・
だからこそ、少しでも綺麗にしておきたいと思ったのが、
正直な気持ちであった。
そして、元気に笑顔で手術を受けるために、準備万端!
私は生きている・・・
(次回は <冬の花火> です>