私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
妻のラジオ出演が無事に終わり、
次は、新聞社との打ち合わせ場所に向かいました。
ハワイに起業した会社の紹介記事と、募集記事を
掲載するための、内容の打ち合わせです。
待ち合わせ場所に行くと、すでに女性の担当記者さんが
待っていました。
ハワイの時間はのんびり流れているので、
なかなか約束の時間通りにはいかないものですが、
担当者が日本人だったのと、僕たちが日本人なので
時間には正確な人種ということで、気を遣ったのかもしれません。
まずは名刺交換をして席に座り、
妻はグアバジュース、ぼくはコナコーヒーを注文しました。
会社名、業務内容等を説明して、
ハワイに起業した理由、経緯を話している時に、
ふと気が付くと、彼女の目からは大粒の涙が
こぼれ落ちていました。
その時の妻の手記を紹介します。
<コラム>
人生初のラジオ出演は、
あっという間に楽しい時間が過ぎ、無事に終了した。
そして主人と一緒に、新聞社の記者さんが待つ、
次の約束の場所に向かった。
主人がハワイに起業した会社の、宣伝広告の打ち合わせで
そこに待っていたのは、白いブラウスがよく似合う、
とても清楚でキュートな女性で、名前は「AKIKO」さんといった。
主人が会社名の由来を説明し始めた。
会社名はハワイ語の「MAHALO」と、数字の「1043」と
「HAWAII」という、文字と数字の組み合わせでできている。
初めに、AKIKOさんから「1043」という数字の意味を聞かれた。
「1043というのは、妻の名前の語呂合わせです。
MAHALOはハワイ語で ”ありがとう” ですよね。
病気の妻をいつも元気にしてくれる ”HAWAIIにありがとう”
どんなに辛くても、いつも笑顔でいてくれる
”1043(妻)にありがとう” という気持ちを込めた社名です。」
そして、私の病いの「子宮平滑筋肉腫」が、5年以上の生存率が
5%未満である事。
嘔吐、倦怠感。
すでにステージ4で余命宣告されている事。
ハワイの起業目的が、ハワイに移住して癌の治療をする事。
どんなに苦しい闘病生活でも、抗がん剤治療終了日には
病院から直接、成田空港→HONOLULU へ向かう程、
ハワイを愛している事。
主人から、私の今までの経緯を聞いていた彼女の目から、
大粒の涙が・・・
そして彼女から、
「是非、ハワイ在住の癌患者さん達に、元気、勇気、生きる希望
を持って頂けるようなコラムを書いてください。」
と、オファーを頂いたのであった。
微力であっても、誰かの為になればと思い、新聞のコラムが
スタートすることになった。
書く機会を与えられたことにより、
過ぎた日々をフィードバック・・・
思い出したくない日々が、
懐かしい時間と共に、
自分に負けないエールになっていく・・・
私は生きている・・・
(次回は <出会い> です)