私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)
このBlogは、今年の3月1日からスタートして、
今回の掲載で40回になりました。
Blogを始めようと思ったきっかけは、
妻が亡くなる前日に書き残したメモの内容を、
あらためて僕自身の心の中に焼き付け、
そして妻と交わした最後の約束を果たすためです。
そのためには、妻が闘病中に書いていた手記を、今一度読み返し、
その時の僕の気持ちを、正確に思い出す必要がありました。
ただ、苦しい闘病生活を思い出すのは、とても辛いものがありますが、
楽しかった日々を思い出すこともできました。
思い出を振り返ることは、決して過去に逆戻りする事では無く、
一歩前に進む事だと、このBlogを通して知りました。
昨日は、辛かった事ばかりを思い出してしまい、
PCに向かっても指が動きませんでしたが、
また今日から、妻のためではなく、僕自身のために始めます。
妻の手記を紹介します。
<銀杏の葉>
銀杏の葉が緑色から黄金色に移り、
桜の葉も、赤、黄、朱色に・・・
紅葉の美しい秋、2012年11月5日より
放射線治療が始まった。
ドクターの「必ず消えます」の言葉を信じて、
心臓を圧迫している4.3㎝の腫瘍へのアタックであった。
リニアック(放射線治療装置)は、X線や電子線等の放射線を当てて、
癌などを治療する機器。
この治療を受けるため、上半身に特殊なマジックのようなもので、
縦や横に線を書かれて、機器と診断図とを合わせての放射であった。
治療中は、お風呂に入っても、身体に書かれている線は、
洗ってはいけないと言われていて、
あまり汗ばまない、秋から冬の間の治療がいいという、
看護師の言っていた意味がわかった。
身体を取り巻く部分にアームがあり、
病巣部に正確に放射され、
身体にメスを入れることなく治療できるのが、
手術と異なる点であった。
機器のベッドに上半身裸になり、仰向けに横たわる。
医師の方々が、私の身体と図面を合わす。
そしてスイッチを入れると、がっ、がっ、がっ・・・と、
背中からの振動が始まり、放射のアームがゆっくり動き始める。
ハワイのコラムの読者さんから
「治療中、手の平は上に向けて、頑張ってくれている身体に、
御礼を言うといいよ。」
の言葉を思い出し、早速実行してみた。
初めは自分に、次はハワイで同じ治療を受けているSちゃに・・・
「がんばれ!がんばれ!ありがとう・・・
がんばれ!がんばれ!Sちゃん・・・
がんばれ!がんばれ!みんな・・・
がんばれ!がんばれ!ありがとう・・・」
ハワイの景色を思い浮かべながら唱えていると、
あっという間にリニアック室の電気が点き、
「お疲れ様でした~」の声。
そして装置を外される。
この繰り返しを土日、祝日を除いて、
月曜から金曜までの通院を30日間・・・
リニアックの通院記録手帳に、1回目のハンコが押された。
あと29回・・・
5分間の放射線を受けるために、
往復2時間の主人の運転で通院・・・
病院までの道のりの紅葉を楽しむことにした。
放射線治療初日は、とても穏やかで、
まるでハワイの空のように、青く澄んでいた・・・
私は生きている・・・
(次回は <娘からのエール> です)