私は生きている・・・(最愛の妻を亡くして僕は鬱になりました)

2009年12月に突然、4ヶ月の余命宣告をされたにもかかわらず、

2012年に、3度目の新年を迎えられたことは、

正直、驚きでもあり、大きな喜びでもありました。

 

ただ、この2年間は、常に「死」と背中合わせで、

いつ「その日」が来てもおかしくない状況でした。

 

夜中に何度も、妻の寝顔に手を近づけて、

息をしているかを確かめる毎日でした。

 

「おはよう」と笑顔で起きてくる妻を

優しくハグして、目に涙を浮かべているのを、

妻には見られないようにしていました。

 

3度目の術後の経過も良かったので、

家内の両親を誘い、妻と娘と僕の5人で

山梨県石和温泉に行きました。

 

その時の妻の手記を紹介します。

 

冬の花火

 

3度目の手術。

 

今回は、肝臓に転移した7%の部分と、

胆嚢全摘出手術を受け、

術後13日目で無事に退院して、

数日遅れのお正月を迎えることができた。

 

「3ヶ月間は安静に・・・」

と、今回は外科のHT先生に言われたが、

1月11日の仕事始めの講座で、受講生さん達に

心配を掛けたくないので、

 

「胆石の腹腔鏡手術をして、1㎝ほどのポリープを

 10個ほど取ってきました。」

と、医師からの受け売りの言葉を、笑顔で話し、

シューベルトの子守唄、 ♫カッチー二のアベマリア、

そして2012年の新曲として、

文部省唱歌 ♫冬の夜 を指導した。

 

今回も、年明けの初講座に、穴を開けること無く、

無事90分の指導を終え、どっと疲労感は感じたが、

「歌に生かされた・・・」

という満足感と、感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

傷口が落ち着いてきた2月に、両親、主人、娘と

山梨県石和温泉に来ていた。

 

この頃の私の風貌は、

副作用で身体はふっくらしていたが、

髪の毛はベリーショートになってきたので、

知らない場所では、ウイッグ無しの行動が取れ、

貸切り風呂でなくても、大浴場に入れることは、

それはそれは心地良い、手足が溶けていくほどの

気持ち良い時間であった。

 

入院中は、ボディーシャンプーで全身を洗い、

タオル1枚で簡単に乾かしていた頭を、

今は短い髪に、シャンプー、リンスをして、

ドライヤーで乾かしている!

 

「当たり前の事」が、少しずつできている!

 

嬉しくて、鏡越しに微笑んでいる私・・・

 

夕食の後、ホテルの屋上に・・・。

 

夜空にドン!と大輪の花を咲かせ、

キラキラと姿を変えて、また打ち上げられる・・・

 

冬の花火

 

ドン!と心臓にまで響くその爆音に、

生きている喜びと実感を・・・

 

寒さを忘れて、冬の夜空を見つめていた・・・。

 

それから3週間後の2月末には、

ソウル、釜山に主人と、娘と私の3人で出かけた。

ハワイまでの、長時間のフライトの前の、体力慣しでもあり、

入院中にハマってDVDで観た韓流ドラマの、

「イ・サン」のロケ地巡りがメインの旅行だった。

 

焼き肉、アワビ粥、海鮮鍋・・・

美味しい三昧の日々を過ごし、

娘と約束した大学合格祝いの韓国旅行を、

1年遅れで果たすことができた。

 

さあ!次は・・・ 勿論、HAWAII♡

 

私は生きている・・・

 

(次回は <ラジオ出演> です)