私は生きている・・・   旅立ち

2014年5月9日 

 

妻は自宅で呼吸困難に陥り、意識を失い、

かかりつけの病院に救急搬送されました・・・

 

その時すでに、妻の肺は子宮から転移した癌細胞で、

片方の肺は全く機能しておらず、

もう片方の肺も半分以上は潰れた状態でした・・・

 

担当医の迅速で的確な応急処置のおかげで、

何とか一命を取り留めましたが、

危ない状態は続きました・・・

 

 

5月10日(入院2日目) 

 

妻の意識は戻っていましたが、

息がし辛い様子で、とても苦しそうでした・・・

 

この日、担当医から

「残念ですが・・・もって2日です・・・」

と、最後の宣告を受けました・・・

 

 

妻がこの世からいなくなる・・・

 

 

この現実を、どうしても受け入れることができませんでした・・・

 

 

最後の宣告を聞いた直後、僕は信じられない光景を

目の当たりにしました・・・

 

担当医のH先生が泣いていました・・・

 

普通、医者は患者の前では決して涙は見せないものですが、

初めての子宮全摘出手術をしてから約4年半、

一緒に闘ってきた、いわば戦友です・・・

おそらく、こみ上げるものがあったのでしょう・・・

 

僕はH先生の涙を見て、覚悟しました・・・

 

 

それは・・・

 

 

僕が妻の行く場所に、後から行こう・・・

 

 

そう覚悟を決めてから・・・

やっと全てを受け入れることができました・・・

 

その瞬間・・・

 

僕の心の中の、全ての苦しみ、全ての悲しみから、

解放されました・・・

 

 

5月11日(入院3日目)

 

苦しさを少しでも抑えるために、

モルヒネが投与されました・・・

 

その効果か、苦しい顔が和らいできましたが・・・

意識は朦朧としてきました・・・

 

妻は、朦朧とした意識の中、

ノートとペンを要求して、

ほとんど力が出ない状態にもかかわらず、

何かを書き始めました・・・

 

書き終わると、少し微笑んで、僕に手渡しました・・・

 

そこには・・・

 

 

全ての人に対する感謝と、

これから社会人になる娘へのエール・・・

 

そして・・・最後に・・・

 

 

「あなたは、しっかり長生きしてね・・・」

 

 

と、最後の力を振り絞って・・・

 

妻の顔は、晴れ晴れとしていました・・・

 

妻は全てを見抜いていたのです・・・

 

 

僕が後を追うことを・・・

 

 

僕は妻の手を握り・・・

 

「わかったよ・・・ありがとう・・・」

 

と言うのが精一杯でした・・・

 

 

5月12日(入院4日目)

 

時計の針が0時を指す頃、

突然、妻の容態が急変しました・・・

 

 

「苦しいから・・・楽にして・・・」

 

 

妻の唇が、微かに動きました・・・

 

 

急いで担当医を呼び、

 

「妻を楽にしてください・・・」

と、告げると、

 

モルヒネの量を多くすれば楽になります・・・

 ただし、意識はありますが、会話はできなくなります・・・」

と言われ、

 

「お願いします・・・」と・・・

 

モルヒネが投与され、しばらくして、

痛みが取れたのでしょう・・・

 

その表情は、とても安らかに見えました・・・

 

 

その時の、僕の判断は正しかったのでしょうか・・・

 

 

 

2014年 5月12日  午前1時36分・・・

 

最愛の妻が・・・

 

 

旅立ちました・・・

 

 

僕の生きる目標が・・・

 

僕の全てが・・・

 

 

無くなった日です・・・