私は生きている・・・動因
閉鎖病棟の入院も1ヶ月が過ぎると、だんだんまわりが見えてきて、
自然と挨拶を交わしたり、会話をするようになったりした。
閉鎖病棟は病院の3Fにあり、起床から消灯までは、
男女一緒に生活をする。
出入り口は一つで、当然しっかりと施錠されている。
入院中に男性患者が脱走を試みたが、10分で取り押さえられた。
入院2ヶ月を過ぎた頃に、病院内での散歩が許可された。
緑が多い、広い庭に出て大きく深呼吸をすると、
空気がこんなにも美味しいことを初めて知った。
ベンチに座り、広く真っ青に澄んだ空を見上げていたときに、
あらためて1人になってしまったことに気づき、
涙が止まらなくなった・・・
そばにいた看護師さんが、僕の様子を見て、
「大丈夫? そろそろ部屋に戻ろうか?」
と、優しく背中をさすってくれた。
妻が亡くなってからの1年間は、
突然襲ってくるどうしようも出来ない悲しみや、
怒り、後悔、脱力感と闘いながら、
必死に仕事をした・・・
1ヶ月の3分の1はハワイ、残りは東京を起点として、
大阪、京都、長野など勢力的に飛び回っていた。
身体を少しでも止めてしまうと、再び動くことができなかった・・・
だから必死に仕事をし続けた・・・
必死に仕事をすることで、忘れようとした・・・
ちょうど1周忌を迎える頃、僕の身体に異変が起きた。
アラモアナにある自宅から、シーサイドAVEの事務所に向かう途中、
突然、腰に激痛がはしり、経験したことのない痛みに、
その場にうずくまり、動けなくなってしまった・・・
その時はまだ、E2ビザを申請中で、ハワイでの治療は保険適用外のため、
急遽、帰国して都内の大学病院で診察を受けた。
結果は・・・
膵臓癌の可能性が極めて高いが、部位が断定できないため、
当時、国内では3台しかない高性能のMRIを設置している病院を紹介された。
その時、僕は
「これで妻が居る場所に行く正当な理由ができた。」
と、心の中で正直思った・・・
一番信頼している友人にだけ事実を話し、
僕が亡くなった後、ハワイと日本の会社を引き継いで
経営して貰えるように頼んだ。
そしてMRIの結果は・・・
原因不明
僕の計画では、
この日担当医師から余命を聞いて、
友人に会社の引継ぎをして、
残された時間を妻が眠っているワイキキで、
生涯の幕を閉じる・・・
その予定がものの見事に崩れ落ちていった・・・
その瞬間・・・
僕の心が壊れていくのを感じた・・・
それから数日後、
伊豆海岸の断崖絶壁に、妻を思いながら立っていた・・・
その時は何も考えられなかった・・・
ただただ、妻の元に行きたかった・・・
これが僕が自ら命を絶とうとした動因だった・・・
それから4ヶ月間・・・
ぼくは精神科の閉鎖病棟で生きていた・・・
「何のためにいきているか」
ではなく、何の目的もなく、何の理由もなく、
ただ・・・
「生きていくためだけに生きている」
私は生きている・・・