私は生きている   始動

妻との約束を果たすために、そろそろ動き始めます。

 

 

 

妻との約束・・・

 

 

それは、癌患者さんとそのご家族の心に寄り添うための

NPO法人の設立です。

 

 

妻は10年前に5年以上の生存率が7%未満の

「子宮平滑筋肉腫」という悪性の進行癌を発病して、

3回の手術と放射線治療抗がん剤治療を受け、

2014年5月12日に亡くなりました。

 

闘病中も声楽家の仕事を毎日こなし、

ハワイの新聞に自身の闘病記録をコラムに掲載して、

日本とハワイの癌患者さんとそのご家族と共に、

生きる希望を分かち合い、最後の最後まで笑顔を絶やさずに

生き抜きました。

 

 

そんな妻は、僕の誇りであり、僕の全てでした。

 

 

妻が亡くなる前日に、僕は妻と約束をしました。

 

その約束とは、1人でも多くの癌患者さんとそのご家族の心に寄り添い、

痛みや苦しみ、悲しみや喜びを共に感じ、

一日一日を大切に生き続けることができるようにするための

「がん友の会」というNPO法人を設立することです。

 

実はこの「がん友の会」は設立申請まではいってたのですが、

許可がおりる前に妻の容態が悪化して、設立を断念してしまったので、

妻としては心残りだったのでしょう。

 

 

 

 

妻が亡くなって5年・・・

 

 

この5年の間、妻を亡くした喪失感からうつ病を発症し、

自殺未遂、精神科に4ヶ月の入院など・・・

いろいろありましたが・・・

 

 

 

そろそろ約束を果たさないと、妻が怒り出しそうなので・・・

 

 

 

動き始めます・・・

 

 

 

NPO法人 「がん友の会」

 

 

始動します

 

 

 

これが僕の・・・

 

 

「生き続ける理由」

 

 

 

私は生きている・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は生きている・・・生き続ける理由

最近、僕のBlogの読者になって頂いた方のBlogを拝見して、

思ったこと、感じたことを書きます。

 

 

タイトルの「生き続ける理由」を見て、皆さんはどう感じたでしょうか?

 

「生き続けるのに理由なんてないでしょう!」

「そんなこと考えたことも無い!」

 

正直、僕も家内が亡くなる前は、1mmも考えたことはなかったです。

 

 

ただ、僕よりも大切な最愛の人が亡くなってから思いました・・・

 

 

「生きる理由」が無ければ「生き続ける事」ができない人もいると・・・

 

 

僕がそうです・・・

 

 

だから「生き続けなければならない人」は、

「その理由」が分かるまでは「生きていく事」が苦しいのだと思います。

 

 

もし、あなたがこのBlogを読んでいただけていたならば・・・

 

 

あなたにとって「生きる理由」は・・・

 

 

あなたのとなりに写っている、あなたにとってかけがえのない「娘さん」

ではないでしょうか?

 

娘さんにとってあなたは、「かけがえのない大切な人」だと思います。

 

その娘さんが、あなたを亡くすことで突然襲ってくる絶望感や、深い悲しみに

陥らないために、1日でも長く「生き続ける事」が、あなたの「生きる理由」の

ように思います。

 

薬の副作用でどれだけの痛みや苦しみか・・・

 

僕の目の前で妻が苦しんでいる様子を、ただ見ている事しか出来なかった

辛い日々を思い出すと、想像が出来ます・・・

 

あなたも辛いと思います・・・

 

 

最後に・・・

 

あなたの「存在価値」は、あなたが「生き続ける」ことのように

思います。

 

 

これは、あくまでも僕の感想ですので、気に障ったとしたら

お許しください。

私は生きている・・・妻との約束

 妻が亡くなる前日に、妻と二つの約束をしました。

 

 

一つ目の約束は、僕が長生きすること。

 

この約束をさせられたのは、妻が亡くなった後に、僕が妻の後を追うことを

妻に悟られたからです。

 

「死」を覚悟した妻は自分の事よりも、僕の事を心配していました。

僕は妻が逝った後に妻の元に行くことで「妻の死」を受け入れようとしていたので、

この約束は正直辛かったし、妻を恨みました。

僕が「頑張れる理由」は、僕が「生きる理由」は「妻」だったし、

妻が「僕の全て」だったからです。

 

おそらく後を追うであろう弱い僕を、叱咤するつもりだったと思います。

 

ですから、妻の元へ行こうとした僕を

「まだ二つの約束を守ってないから、こっちへ来ちゃだめ!」

と言ってこの世にとどまらせたのだと思います。

 

 

 

二つ目の約束は、NPOを作る事です。

 

実は妻が癌を発症してから、癌患者さんとそのご家族のために

「一緒に頑張ろう!」「一緒に生きていこう!」をスローガンに

「がん友の会」というNPO法人を立ち上げる準備をしていました。

ところがあと少しでスタートできる段階で、妻の容態が悪くなり、

断念したのです。

妻は、そのNPOをもう一度立ち上げる事を、僕の「生きる目的」に

したのです。

 

 

妻が亡くなる前日に、僕と交わした二つの約束・・・

 

 

その約束を果たす為に・・・

 

 

今、僕は生きています・・・

 

 

そして約束を果たした後には・・・

 

 

堂々と胸を張って・・・

 

妻の元に行きたいと思います・・・

 

 

その時は・・・

 

きっと妻も許してくれると思います・・・

 

 

 

私は生きている・・・

 

 

 

私は生きている・・・生と死について

約2ヶ月ぶりのblog更新です。

 

前回は僕が自殺未遂を起こした動因について書きました。

 

5年前に妻を癌で亡くしました・・・

その1年後に喪失感が原因のうつ病を発症して自殺未遂・・・

精神科の閉鎖病棟に4ヶ月入院・・・

退院して3年半が経ちました・・・。

 

退院してからの3年間・・・

「生と死」について考える時間が多くなりました・・・

 

 

 

人は生まれた瞬間に産声を上げ、大声で泣き、誕生したことを

両親に訴えます。

両親は無事に生まれてきた我が子を見て、喜びの涙を流します。

 

 

 

死ぬ瞬間はどうでしょう・・・

まだ死にたくないという未練をこの世に残して逝ってしまう・・・

 

 

逝く瞬間・・・

 

人は何を考えるのでしょう・・・

 

 

ベッドを囲む人達の願いも届かず・・・

 

逝ってしまう瞬間・・・

 

 

人々は生まれた時の喜びの涙ではなく

 

深い悲しみの涙を流します・・・

 

 

 

 

妻は逝く瞬間に・・・

 

 

微笑みました・・・

 

 

 

 

僕が逝く時は・・・

 

 

妻のように微笑むことができるのか・・・

 

 

 

 

 

私は生きている・・・

 

 

 

私は生きている・・・動因

閉鎖病棟の入院も1ヶ月が過ぎると、だんだんまわりが見えてきて、

自然と挨拶を交わしたり、会話をするようになったりした。

 

閉鎖病棟は病院の3Fにあり、起床から消灯までは、

男女一緒に生活をする。

 

出入り口は一つで、当然しっかりと施錠されている。

入院中に男性患者が脱走を試みたが、10分で取り押さえられた。

 

入院2ヶ月を過ぎた頃に、病院内での散歩が許可された。

 

緑が多い、広い庭に出て大きく深呼吸をすると、

空気がこんなにも美味しいことを初めて知った。

 

ベンチに座り、広く真っ青に澄んだ空を見上げていたときに、

あらためて1人になってしまったことに気づき、

涙が止まらなくなった・・・

 

そばにいた看護師さんが、僕の様子を見て、

 

「大丈夫? そろそろ部屋に戻ろうか?」

 

と、優しく背中をさすってくれた。

 

 

 

 

妻が亡くなってからの1年間は、

突然襲ってくるどうしようも出来ない悲しみや、

怒り、後悔、脱力感と闘いながら、

必死に仕事をした・・・

1ヶ月の3分の1はハワイ、残りは東京を起点として、

大阪、京都、長野など勢力的に飛び回っていた。

 

身体を少しでも止めてしまうと、再び動くことができなかった・・・

 

 

だから必死に仕事をし続けた・・・

必死に仕事をすることで、忘れようとした・・・

 

 

ちょうど1周忌を迎える頃、僕の身体に異変が起きた。

 

アラモアナにある自宅から、シーサイドAVEの事務所に向かう途中、

突然、腰に激痛がはしり、経験したことのない痛みに、

その場にうずくまり、動けなくなってしまった・・・

 

その時はまだ、E2ビザを申請中で、ハワイでの治療は保険適用外のため、

急遽、帰国して都内の大学病院で診察を受けた。

 

結果は・・・

膵臓癌の可能性が極めて高いが、部位が断定できないため、

当時、国内では3台しかない高性能のMRIを設置している病院を紹介された。

 

その時、僕は

「これで妻が居る場所に行く正当な理由ができた。」

と、心の中で正直思った・・・

 

 

一番信頼している友人にだけ事実を話し、

僕が亡くなった後、ハワイと日本の会社を引き継いで

経営して貰えるように頼んだ。

 

 

そしてMRIの結果は・・・

 

 

原因不明

 

 

僕の計画では、

この日担当医師から余命を聞いて、

友人に会社の引継ぎをして、

残された時間を妻が眠っているワイキキで、

生涯の幕を閉じる・・・

 

 

その予定がものの見事に崩れ落ちていった・・・

 

 

その瞬間・・・

 

 

 

僕の心が壊れていくのを感じた・・・

 

 

それから数日後、

 

伊豆海岸の断崖絶壁に、妻を思いながら立っていた・・・

 

 

 

その時は何も考えられなかった・・・

 

 

ただただ、妻の元に行きたかった・・・

 

 

 

これが僕が自ら命を絶とうとした動因だった・・・

 

 

 

それから4ヶ月間・・・

 

 

ぼくは精神科の閉鎖病棟で生きていた・・・

 

 

「何のためにいきているか」

 

ではなく、何の目的もなく、何の理由もなく、

 

ただ・・・

 

「生きていくためだけに生きている」

 

 

 

 

私は生きている・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

私は生きている・・・ 生かされた理由

その時は何も考えていなかった・・・

 

考えられなかった・・・が正しいのかもしれない・・・

 

ただ、妻がいる場所に行きたかった・・・

 

あともう一歩踏み出せば・・・妻に逢える・・・

 

 

 

 

そこからの記憶が無い・・・

 

 

 

 

気が付いた時には、精神科の閉鎖病棟のベッドに寝ていた・・・

 

 

 

 

その日から4ヶ月と10日間の入院生活が始まった・・・

 

 

毎朝同じ時間に起きて、同じ時間に食事を摂り、

 

同じ時間に薬を飲み、同じ時間に就寝・・・

 

そして翌朝、同じ時間に起きて・・・

 

 

その繰り返し・・・

 

 

閉鎖病棟の入院患者は症状が重いため、

大声で訳の分からない言葉で叫んでは大暴れして、

2~3の看護師に取り押さえられ、

監獄のような1人部屋のベッドに縛り付けられる・・・

そのため、男性看護師は見るからに腕っぷしが強そうで、

頑丈な体つきをしている・・・

 

 

外の生活からは、あまりにも違う世界なので戸惑った・・・

 

 

そんな生活も1ヶ月もすれば慣れてきた・・・

 

 

仕事をしていた時は、忙しすぎてお金で時間を買っていた・・・

 

ところが、入院中は時間が有り余りすぎる・・・

 

そのおかげで、病院中の本を読んだ・・・

 

 

 

そして・・・

 

「生かされた理由」を考えた・・・

 

 

 

なぜ・・・

 

今、生きているのだろう・・・

 

 

 

 

死にたくはなかったであろう妻は逝ってしまって・・・

 

 

 

なぜ・・・僕は・・・

 

 

 

 

 

私は生きている・・・

 

 

私は生きている・・・ 現実逃避

気が付くと白い天井が見えた・・・

 

どうやら眠っていたみたいだ・・・

 

起き上がろうとしたら、頭に痛みが走った・・・

 

頭の中がモヤモヤした感じで、

夢の中なのか、現実なのか分からなかった・・・

 

「僕はどうしたのだろう・・・」

 

しばらくして、少しずつ思い出してきた・・・

 

 

 

妻の子宮全摘出手術の日・・・

術後にステージ4の癌と告げられ・・・

余命宣告・・・

その日から始まった闘病の日々・・・

 

 

そして・・・

 

 

妻の死・・・

 

 

ハワイの海への散骨・・・

 

 

まるで走馬灯のように、映像が時系列で浮かんできた・・・

 

 

そしてハッキリと思い出した。

 

 

 

僕は、ハワイで妻の手術をするために、ハワイに移住する計画を、

妻が亡くなった後も続行していて、E2ビザを取得するために、

ワイキキビーチ沿いのHホテルにテナントを出店していた。

 

 

 

そして出店後、数ヶ月が経って、僕の思考回路が停止した・・・

 

 

 

生きている意味が分からなくなったのだ・・・

 

 

 

そして次に考えたのは・・・

 

 

 

「妻のいる場所に行こう・・・」

 

 

日本に帰国して・・・

 

 

その後が・・・

 

 

思い出せない・・・

 

 

 

妻が亡くなって・・・

 

 

 

1年が経って・・・

 

 

 

僕が見ている白い天井は・・・

 

 

 

精神科の、閉鎖病棟の白い天井だった・・・

 

 

 

 

妻のいる場所には行けなかった・・・

 

 

 

 

私は生きている・・・