私は生きている・・・ 1人のハワイ

2014年5月12日に、4年半の闘病後、妻が亡くなり・・・

 

 

5月20日に斎場で「お別れの会」で妻を送った後・・・

 

 

僕は一週間、家から一歩も出ずに引きこもっていました・・・

 

 

朝目覚めた時に、いつもとなりにあった優しい温もりがありません・・・

 

 

愛犬のアロハはいつも以上に、ベッタリと僕から離れません・・・

 

 

いつもアロハを真ん中にして、妻と並んで座ってたリビングのソファーに

 

 

何をするのでもなく、ただぼ~っと・・・

 

 

気が付くと、いつの間にか窓の外は真っ暗になっていて・・・

 

 

一日が終わろうとしていました・・・

 

 

いつ、食事をしたのかさえ覚えていませんでした・・・

 

 

何度も携帯電話が鳴ってるようでした・・・

 

 

心配した友人が訪ねてきました・・・

 

 

僕はその時・・・

 

 

「お別れの会」以来・・・

 

 

大声を出して泣きました・・・

 

 

 

 

その日から1ヶ月後の6月30日

 

妻との約束を果たす為に、

1人、ホノルル空港(当時)に立っていました。

 

 

迎えに来てくれた友人は無言でハグをしてきて・・・

人目も気にせず、大声で泣き出しました・・・

 

 

ホテルにチェックインする前に、

妻がコラムを連載していた新聞社に行くと、

スタッフ全員が次々と無言で僕を抱きしめ、

涙していました・・・

 

 

そして、コラムの担当者が、

今まで掲載した妻のコラムを一冊の本にしてくれていて、

最後のページには、全員から妻に対する感謝の気持ちが

綴られていました・・・

 

表紙には、コラムの題名と・・・

 

妻のとびっきりの笑顔の写真がありました・・・

 

 

 

夜は、友人達とのディナーを明日にしてもらい、

メインストリートのカラカウア通りを、

妻との思い出をたどりながら、ゆっくりと散歩しました。

 

 

まだほんの一ヶ月前には・・・

 

 

妻は生きていて・・・

 

 

同じこの場所に一緒にいたのです・・・

 

 

でも・・・

 

 

もう二度と・・・

 

 

 

二日目は、

 

妻が亡くなる前日に約束した、

 

「ハワイの海に散骨する」

 

ための打ち合わせをしました。

 

日時は二ヶ月後の9月12日の月命日に決まり、

当日は、地元のサーファーが海で亡くなった時の散骨の儀式をしてから、

盛大にBBQで、明るく送ることにしました。

 

 

三日目は、

 

中断していたハワイに移住するための、

E2ビザの申請を再開してもらうために、

移民弁護士と打ち合わせをしました。

 

 

本来、移住の目的は、

 

1 妻の病気は日本での治療が不可能である(当時)

2 同じ病気がハワイで完治した例が2件ある

 

以上のことから、ハワイで治療をするための移住でした。

 

 

しかし、妻が亡くなったことによって、

移住する必要はなくなったのですが、

妻のために起業したハワイの会社を存続するために

移住することを決心しました。

 

 

 

 

こうして、妻と歩んだ僕達の人生の第一章が終わり・・・

 

 

心の中に生き続ける妻と一緒に歩む、

僕達の人生の第二章の幕が上がりました・・・

 

 

 

でも・・・

 

 

その時には・・・

 

 

この「始まり」が「終わりの始まり」であることには

 

気付いていませんでした・・・

 

 

 

 

私は生きている・・・